受験を決意するまでの経緯: 2007年6月アーカイブ

職場の上司にうちあける

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 覚悟を決めた僕は、まず上司の山口さんにメールを送った。

山口さん、
いろいろ将来のことを考えたのですが、夏から留学することにしました。つきましては、今後の進展について、ご相談させて頂きたいのですが。

すぐにメールが返ってきた。

人生には2種類の後悔があります。
一つはやっておけばよかった、という後悔で、
もう一つはやらなければよかった、という後悔です。
今度、飯でも食べながら話をしましょう。
山口


山口さんは僕が働いていた会社の直属の上司で、大変有能な方だった。元々日本総研出身のIT コンサルタントで、ソフトでありながら鋭い語り口、構想力、人望、リーダーシップのスタイルなど、私の仕事の上での師とも呼ぶべき人だった。

数日後、山口さんは僕を鮨屋に連れて行ってくれた。事情を説明すると、

「そりゃお前、挑戦しなきゃ駄目だよ。」

そう言って、僕の決断を了承してくれた。本当に有難かった。


byumba_1186728363_1.jpg このときに山口さんの経歴をいろいろと聞く機会があったのだが、これが大変面白い。山口さんは大学を卒業後、日本総研で数年働いていたが、何年かすると無償にリセットボタンが押したくなったのだという。そして、次に働く場所も見つけないまま、退社してしまったのだという。それから、何と3 年間も無職のままいたらしい。

「何をしていたんですか?」と聞くと、

「毎日美術館や、国会図書館に入り浸って本をむさぼり読んでいた」という。

そして3 年ほどたったときに友人から

「お前はいつまでそんな生活をしているんだ。」

と言われて、半ば強制的に現在の会社の採用面接に行くことになり、現在に至るのだという。

「商社っていうのは、いいね。こんなおかしな経歴の人間をやとってくれるんだから、本当に懐が深いと思うよ。まあ、やらなければよかった、という後悔にならないように頑張れよ。」

そういって、僕を送り出してくれた。


山口さんの上司の社長にも呼ばれたが、

「お前に一体いくら投資したと思っているんだ。会社としては冗談じゃないぞ。しかし、個人的には理解できる。」

そう言ってもらえた。社長が元々日商岩井出身で、海外経験が長かったことも、理解して頂いた背景にあったように思う。


そんな訳で、僕は2006 年の4 月31 日に3 年間働いた会社を退社した。ついに、途中下車のできないジェットコースターは動き出してしまった。


ブリガムヤング大学とは

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ブリガムヤング大学は、末日聖徒イエス・キリスト教会教会教育システムが経営する私立大学で、所在地はアメリカ合衆国ユタ州プロボ市だ。

1875年10月16日末日聖徒イエス・キリスト教会 2代目大管長ブリガム・ヤングの提唱により、ユタ入植地における職業訓練、宗教教育を目的に創立された中等教育学校ブリガムヤングアカデミーが前身。1903年に現在の名称ブリガムヤング大学になる。

198 の学術的なプログラム、69の修士号、27の博士号課程があり、生物学と農業、デヴィットOマッケイ教育学校、アイラAフルトンカレッジ オブエンジニアリングアンドテクノロジー、家庭、家族と社会科学、ファインアートとコミュニケーション、健康ヒューマンパフォーマンスと人文科学、J.ルーベン・クラーク法律学校、マリオットスクールオブマネージメント、看護、物理学と数学等のコースを学べる。


中でも、アカウンティング、MBA、ロースクールの3つはBYUの看板学部と言われており、アカウンティングに関しては、全米でも常にトップ5に入るほどのランキング。僕の友人にもBYU のアカウンティングを卒業した人を数人知っているが、みんな、KPMGやプライスウォーター、ゴールドマンサックスなど超難関と呼ばれる会計事務所や外資系の金融機関へ就職していっている。

一方MBAはと言えば、下記のとおりで、まぁ中堅の大学といって差し支えないと思う。
17th MBA Forbes, 2005
34th MBA U.S.News & World Report, 2006
World 57th MBA Financial Times, 2007

帰宅後、社長(妻)が待っていた。

社長(妻) 「どうだった?何の話だったの?」

僕 「それが…、推薦状書いてあげるから、仕事やめてすぐにアメリカに行ってMBA の受験しろって。」

意外なことに妻はこう言い放った。

社長(妻) 「もう行くしかないじゃない!」

僕 「へ?」

少しは反対するかと思ったが、即答されてしまったので、拍子抜けしてしまった。

社長(妻) 「こんなチャンス、二度とないわよ。」

と妻。


しかし、妻の了解は得たものの、僕はすぐには決断できないでいた。一番引っかかったのは、現在の仕事。仕事は正直面白く、昇進も近かった。お世話になっている上司のことを思うと、申し訳なくて、とても「辞めます」とは言えない。


また、MBA を目指すのに仕事を辞める必要はないのでは、という考えもあった。いろいろな体験談を読む限り、そんなリスキーなことをしている人は誰もいない。第一、そんなリスクを取って、もし落ちたら大変なことになる。妻子がいる身で、そんな賭けには出れない。


tokyo_lds_mormon_temple2.jpgしかし、妻が言うとおり、確かにチャンスではある。いろいろと考えれば考えるほど、どうすればよいのか訳が分からなくなってきた。悶々と悩みながらとうとう1ヶ月が過ぎてしまった。最終判断を下すために広尾のTokyo Templeに行くと、偶然以前お世話になった大野Bに再会した。

大野B 「久しぶりだね、元気にしている?」

声をかけてくれたので、詳しい事情を説明すると

大野B 「そうなんた。確かに迷うね。でも、同じチャンスは二度とこないからね。」

そう言ってくれた。


同じチャンスは二度とこない。この言葉が頭の中で反芻した。そして、決断した。

「よし、やってみよう!!」

僕は、途中下車のできないジェットコースターに乗ることにしたのだ。


運命の日、2006年2月9日

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img01.jpg会社を 6 時過ぎに出た僕は、 7 時に N 会長のオフィスへ向かった。 N 会長のオフィスは飯田橋駅から 5 分くらいのところにあった。行くと、中年の男性が出迎えてくれ、N会長まで通してくれた。

N会長 「それで、あなたはなぜ BYU Management Society で働いているのですか?BYUの卒業生ではないんですよね?」

こんな会話から、話は始まった。
 

30 分ほどだろうか。今までのいきさつや、大学のこと、仕事のこと、家族のこと、いろいろと質問された。これが面接だったと気付いたのはしばらく後のことになるのだが、質問が一通り終わると、 N 会長は一息ついてこう切り出した。

N会長 「それで、今日の本題ですが、どうですか、 BYU の大学院、 MBAを目指してみませんか?やる気があるなら、推薦状を書いてあげますよ。」

この申し出には本当にびっくりした。どういう訳か、僕は運命的なものを感じた。

N会長 「どうですか、興味はありますか? TOEFL とかは受けたことがありますか?」

という N 会長の言葉に対し、僕は半ば反応的に答えていた。

僕 「もちろんあります! TOEFL も 233 点を最近取ったばかりです。」
 

ここまでは話は大いに盛り上がったのだが、この先の N 会長の提案にはびっくりした。
 

N会長 「では、仕事をすぐにやめて、アメリカに行って下さい。」

僕 「えっ!?!?」

N会長 「あなた IT 業界ですよね?忙しい仕事をしながらでは合格する可能性も低いので、アメリカに私の会社が経営する英語学校がありますから、そこで集中的に勉強したらどうですか。」

 
そう言って、 N 会長は紙に今後のスケジュールの概要を書き始めた。来月に仕事は辞め、一度N会長の会社に入社。夏にはアメリカに行く、 3 月になったら戻ってきて…

 
「仕事を辞めて、アメリカにMBA受験に行く」。インターネットなどで情報を収集する限り、そんなリスキーな話は聞いたことがない。しかも、仕事は楽しく、人間関係もうまくいっていて、来月やめるなどと言うことは想像もできない。いずれにせよ、妻子がいる身では、こんな重要なことは一人で決める訳にもいかない。僕は言った。

僕 「…ちょっと、妻と相談させて頂けませんか。」

N会長 「もちろんです。よく相談してみて下さい。」
 

帰り際、僕は恐る恐る N会長に聞いてみた。

僕 「あのう、どうして見ず知らずの僕に、こんな申し出をしてくださるのですか。」

N会長 「あなたが、 BYU の MBA に行って、そこで学んだことを将来日本の教会や社会のために使ってくれるなら、私はあなたを助ける価値があります。」

その無私の心に感動した。


 LDS キャリアフォーラムでは四半期に一度、ゲスト講師を招いて、セミナーを開催していた。外資系金融機関の COO や、ヘッドハンター、教育研修企業の幹部の方など、いろいろな方が来てくださった。


キャリアフォーラムを主催するようになって、2年近くが経った頃、 BYU Management Society という組織があることを知った。代表をしていたのは田淵さんという方で、独立されてコンサルタントをされていた。 BYU Management Society に興味を持った僕は、偶然ネットで田淵さんの連絡先を見つけ、連絡してみた。すると「一度意見交換しましょう」という話になった。
 

2005 年の秋に僕は有楽町で田淵さんとお会いすることができた。いろいろと話してゆくと、 LDS キャリアフォーラムと BYUManagement Society はほとんど同じ目的を持っていることが分かった。同じ目的を、異なる組織が別々にやるのは効率が悪いから、ということで、統合する話がとんとん拍子に決まり、 2006 年の 1 月に正式に合併することになった。
 

そのときの合併記念のセミナーに来てくださったのが、僕の恩師になる N会長だった。

N 会長は、教育会社を 4 社経営するオーナー会長で、当時 BYUManagement Society の顧問をされていた。 BYUManagement Society とは、その名の通り、 BYU という大学が母体になって始まった組織で、 N 会長は BYU の卒業生だった。方や僕はといえば、 BYU とは縁もゆかりもない人間で、 N 会長からみれば「卒業生でもない人間がどうして BYU の組織の事務局で働いているのだろう?」と不思議に思ったようだった。

 
セミナーが終了してから 2 週間後、僕のところに N 会長からメールが届いた。

「個人的に話したいことがあるので、 2 月9日に、 私のオフィスに来て頂けませんか?」

そして、運命の日、2月9日を迎えることになる。

呼ばれているような気がする

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 アメリカには、大学生の頃から、いつか行くような気がしていた。でも、どういった形で行くことになるのか、まったくイメージができなかった。僕はもう日本の大学に行っていたし、実家のお金の問題があり、在学中に留学するのは困難であることがわかっていた。

そんな大学生活で「 MBA 」という言葉に始めてであったのは、アルバイト先でのこと。当時、僕はふとしたきっかけで、大前研一氏が起こした社会人向けの教育会社「ビジネスブレークスルー」アルバイトをしていた。そのアルバイトというのが、遠隔教育のボンド大学 MBA プログラムのカスタマーサポートだった。そこで MBA という言葉に出会うまでは、 MBA が一体何の略なのかもよく分かっておらず、資格の一種かのように考えていた。


MBA というものについて、ある程度理解が深まると、当然のことながら、自分も行きたくなった。しかし、トップスクールへの私費留学はウン千万もかかりそうだ、ということが分かった。では社費で、という話しになるが、当時の日本は不況にあえいでいた時期で、そういったオプションを提供してくれる会社は激減していた。


そんな分けで、数年が経ち、気がつくと、僕は帝人のグループ会社に就職し、妻と結婚していた。妻と結婚した2004年の春、僕は友人達と一緒に、「 LDS キャリアフォーラム」というキャリアについての勉強会を立ち上げたのだが、実はこの「LDS キャリアフォーラム」の立ち上げと運営に携わることが、留学の実現にとって非常に重要な複線になる。

はじめに

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2007年6月22 日、合格を告げるメールの受け取りとともに、ついに2 年間に渡る大学院受験が終わった。合格したのは、ブリガムヤング大学の経営大学院、マリオットスクール。アメリカユタ州のプロボ市にある私立大学。

1000853.jpg本当に長かった。苦労した、と言葉で言うのは簡単だけれど、家族として幾多の試練を乗り越えた末に手に入れた、未来への扉だった。

もし僕が人生の中で、多少なりとも人に誇れるものを達成したことがあるとしたら、それらは私の愛する妻と、子供達の支え、そして数多くの人々の助けと励ましがあったからにほかならならない。

ブログなど、書いたこともなかったが、入学にあたって、受験時代、そしてこれから始まる2年間の記録を、まだ幼い子供達に残さなければ・・・そんな思いが強く湧き上がってきた。

そんな訳で、この記録は、最愛の妻と、2 人の子供たち、そしてお世話になった多くの方々へ贈る、僕の留学生活の記録です。将来子供達がこの記録を読むときに、父親が何を感じ、何を学び、そして、どれだけ多くの人が、僕たち家族を助けてくれたのか、この記録から、少しでも学んでくれたらと思う。

プロフィール


明治大学政治経済学部卒業。帝人グループを経て、現在ブリガムヤング大学経営大学院マリオットスクールMBAプログラムに在籍。上司であるCEO(超・偉い・奥さん)と、新入社員(子供)二人の4人家族。 このブログは、まだ小さな2人の子供たちに、将来本にして贈るために書いています。


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