2008年10月アーカイブ

ボストンのダウンタウンをゆく

|
会場に近い場所に確保したい一心で予約したこのホテルだったが、翌日になって、周辺を歩き回ってみて、このホテルがある場所は、ボストンのダウンタウンのど真ん中であることにようやく気づいた。

bostonmap.jpg
ボストンは、アメリカ合衆国北東部の、人口全米第10位の規模を誇る大都市。近辺の経済、金融の中心だけでなく、アメリカ発祥の地として有名で、英国をにおわせるような古い町並みが至る所に残る東海岸有数の観光都市だ。

元々ボストンは、1630年に、イングランドからやってきた清教徒たちの手によって築かれた。そのため、ボストン建設期の市民の多くは清教徒で、清教徒の倫理観により、ボストンにきわめて安定し、きちんと組織だった社会を築いていった。勤労、道徳的高潔、教育の重視といった文化は、1636年のハーバード大学を創立に繋がっている。

1770年代には、イギリスが13植民地の支配権を確立しようと、重税を課す政策をとった。これにより、ボストン市民たちは、アメリカ独立革命への道を歩んでいくことになった。ボストン虐殺事件、ボストン茶会事件などは、僕も高校の歴史で学んだ有名な事件だ。

アメリカ独立革命以後、ボストンは世界でも指折りの国際貿易港となり、繁栄を極めていった。現在、ボストンは、学術的/科学技術的/政治的中心地となっている。ボストン市及びその近郊には、ボストン大学、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)やタフツ大学といった著名総合大学に加え、ボストン・カレッジやブランダイズ大学等の名門大学が軒を連ねるアメリカ一の学術都市として知られている。

有名な、Faneuil Hall ファニエルホールや、時計台もすぐ近くで、2時間ほど、ダウンタウンをうろうろしてみたのだが、ユタ州の片田舎から上京してきたような僕には、なんとも落ち着かない場所だと思った。


us_boston_003.jpg
downtown-boston-ma026.jpg

慌ただしくボストンに出発

|
現在、6時半を回ったくところで、ようやくボストンに到着した。


昨日は、出発の前日だというのに、目が回るほど忙しかった。

8時過ぎに起床し、タナービルディングに向かう。9時半からグローバルマネジメントのクラスに出席し、その後11時から某企業と電話で一時間ほど面接。その後、午後のクラスのリーディングをこなし、一時に車でMTCに行き、アルバイトの書類手続き。2時前に帰宅し、昼食。車を社長(妻)が使う、というので、ウィルキンソンセンターへ送ってもらい、アルバイトの書類手続きの続きを行い、歩いてタナービルディングへ戻る。

リーダーシップのクラスのファイナルペーパーの提出を済ました後、マリオットスクールのオンラインオーダーが来ていた事を思い出し、商品のピックアップ&発送手続き。その後はグローバルマネジメントのアサイメントの準備。そうこうしているうちに、セールスマネジメントの実技テストの時間になり、チームメンバーと一緒に参加。このテストが2時間ほどかかった。夕方6時半からは、グローバルマネジメントのグループ交渉のアサイメントを別のグループとこなし、すべて終了したのは8時前だった。

ここからボストンに行く準備を始め、ようやく準備が整ったのは夜中の12時近くだった。やれやれだ。

ボストンには9時40分の直行便で向かい、現地には16時40分に到着。日本とは異なり、アメリカは国内で時差があり、ボストンはユタよりも2時間時間が早い。

今回は去年の反省を活かし、会場に近いホテルを確保。

club-quarters-boston.jpg


先のエントリに書いたとおり、今日はウエストウイングのDedicationが行われた。

35615.jpg
どういう訳か、いつもはのんびりした金曜日なのに、今日に限って朝から本当に忙しかった。まず、10時過ぎからCISのドナーとのミーティングが12時まであり、その後Strategy Implemetationのファイナルの仕上げを、ブラジル人チームメイトのルイースと40分で急いでやり、そしてその後、MTCでアルバイトの採用面接・・・。


空腹とくたくたになってようやく帰宅したのが2時半前だった。Dedicationまで、あと30分しかない。

社長(妻) 「もう外出はやめて、家で見たら?BYUチャネルでやるわよ。どうせ学校行っても中継でしょ。」

確かに・・・。が、こんな機会は二度とない。

僕 「いや、社長、このディールははずせません。新人君(長男)を連れて、行ってもいいですか?」

社長(妻) 「好きにしたら。」

という訳で、遅刻しながらもタナービルディングに向かった我々。

IMG_3712.jpg
入り口に垂らされた、長い垂れ幕。
一人ひとりのドナーの名前の上に「A Thousand Thanks (何千もの感謝)」の文字が。
IMG_3713.jpg
学生達は直接会に参加できるわけもなく、旧館のホールで生中継を見ていた。僕らが入ると、マリオットグループのCEO、J・ウィラード・マリオット氏が丁度話をしていた。全世界のマリオットグループの総帥らしく、実にシャープな印象だった。

マリオット氏曰く、「この建物はマリオットファミリーだけの力で建てたものではない」とのことだが、マリオット一族が最も多額の寄付をしたであろうことは想像に難しくない。(追記: 後で聞いた話しだと、総工費40億円のうち、15億をマリオット一族が、そして残りを他のドナーからの寄付で賄ったという。・・・凄すぎる。)

この写真、中央の人
IMG_3727.jpg
その後、数人の人が話をし、最後にモンソン大管長が登場。モンソン大管長はBYU MBAの卒業生なのだ。モンソン大管長は、マリオットグループや、マリオットスクールでにまつわるいくつかの思い出話を紹介したあと、長いPrayerを捧げ、Dedicationは無事に終了。

35614.jpg
終了後すぐに帰ろうかと思ったのだが、新しい建物の一階エレベーター前に人だかりが出来ているのを見て、モンソン大管長を皆が見送るのだと気付いた。息子の瞬を連れてエレベーターの近くに行ったときは、既にすごい人だかりで、近寄れず、仕方なく少し離れた台の上に上がり、瞬を抱っこしていた。

すると、しばらくしてエレベータが開き、モンソン大管長が現れた!

あまりの人だかりにびっくりするモンソン大管長。少し立ち止まって目の前の会衆を見回していると、僕と瞬の方に目をとめ、そして言った。

モンソン大管長 「Boy, come to me (そこの少年、こっちに来なさい)」

うえー!!!大管長に呼ばれてしまった!!

台から降り、人だかりを掻き分けて、緊張しながら大管長に近寄る僕と瞬。すると大管長は右手を大きく広げ、瞬に向かって言った。

モンソン大管長 「Give me five!(私の手をパチンと叩いてごらん!)」

握手かと思った僕は意表をつかれたのだが、すぐに瞬に、「瞬、手、手!」と言ったものの、ビビッた瞬は手を後ろに引っ込めてしまった。ギャース!

すると思いかげず、こんな言葉が。

モンソン大管長 「Father, you give me five!(じゃあ、お父さん、君が私の手を叩きなさい!)」

僕が瞬の代わりに大管長の手をパチンと叩くと、にっこり笑って歩いていってしまった。周りの人たちはもちろん笑っていた。

いやー、生まれて初めてLiving Prophetに触れてしまった。


エレベーターからは、アイリング管長、ウークトドルフ管長、ホランド長老などが続々と現れ、会衆に手を振りながら出口に歩いていった。

ウークトドルフ管長、アイリング管長、そしてモンソン大管長
IMG_3718.jpg
IMG_3723.jpg
35616.jpg


興奮覚めやらぬ我々(いや、僕だけか。)は、社長(妻)に報告。
IMG_3731.jpg



NAC (National Advisory Council) 開幕!

|
去年に引き続き、NACが開催された。NACについては前回のエントリに詳しい説明を書いておいたのでそこは略すとして、木曜日の夜に、前回同様、マリオットスクールのすべての卒業生がNACメンバーとのディナーに招待された。我が家は有り難いことに、まさみちゃんという素晴らしいベビーシッターに恵まれ、社長(妻)と二人でNACに出席することができた。

IMG_3703.jpg会場は、前回同様、ウィルキンソンセンターの大ホール。ディナーの前に入り口で皆で話していると、マリオットスクールの学長、Dean Coniaに遭遇!やっと会えた。ハーツェル夫妻から、Dean Coniaに訪問するように言われていて、何度もオフィスに足を運んだが、まったく会えずに2ヶ月が過ぎて、ようやくこのConferenceで挨拶することができた。

社長(妻)が撮った写真は残念ながらピンボケかつ真っ白。が、コニア学長は、さすがマリオットスクールを束ねる学長らしく、柔らかい物腰に光るオーラを放つ、大変素晴らしい方だった。


IMG_3689.jpg
ディナーのテーブルには、我々夫妻、ケニー夫妻、ペルー人のハイミー夫妻、そして韓国人才女アーヤンの7人に、前回同様元アフラックCEOのオブライアン氏がNACメンバーとして着席し、楽しい時間を過ごす事ができた。(残念ながら、前回来ていたスター銀行頭取のタッドバッジ氏は今回は不在)。


IMG_3698.jpg
ディナーの前後にいろいろな話を聞いたのだが、今回は、2つの点で通常のNAC Conferenceと異なっていると感じた。

第一は、何と言っても、タナービルディング・ウエストウイングの完成だ。

タナービルディング・ウエストウイングは、マリオットホテルの創業者一族であるマリオットファミリーを中心とした、多くのNACメンバーの惜しみない寄付によって着工し、完成した建物で、今回のディナーの席でも、学生達はスタンディングオベーションでNACメンバー達に感謝を伝える機会があった。


第二は、学長の交代だ。

先ほどコニア学長についての話を載せたが、今回は前学長のネッド・ヒル氏からコニア学長に代わった初めてのNAC Conferenceで、大きなビジョンでマリオットスクールを率いたヒル学長に対する惜しみない賛辞の言葉が、コニア学長をはじめ、ユタ州知事などの多くの人から発せられた。

会の終了後、ケニーと
IMG_3702.jpg
こういう場に来ると、アメリカの大学のスケールの大きさを、まざまざと感じさせられる。本当に楽しい夕べでした。

明日は、ウエストウイングのDedicationです。そして、ソルトレークからPresident Monsonがやってきます!僕は・・・もちろん参加です!


リーダーシップのクラスは前回が最後だったが、Leadership Profileと呼ばれる最後のアサイメントの提出が残っている。

このアサイメントに取り組むにあたり、自分をよく知っている人たちから(1)自分の強みと、(2)その具体的なストーリーを3つずつ集めてゆくのだが、これが非常に面白い。たくさんの人から貰ったフィードバックを統合して共通点をさらっていくと、自分がどのような人間なのか、浮かび上がってくる。

下記が、フィードバックの中に多く含まれていた事項

・前向きで他の人に気を使う
・他人のアドバイスや、よい点を受け入れ取り入れる姿勢がある
・多くの仕事を早くこなす処理能力
・新しいアイデアとアイデアの統合力
・様々なコンセプトを視覚的に表す能力

こうした能力の多くは、日々社長(妻)からくる様々な要求に迅速に応えることによって、培われているといっても過言ではないでしょう。しかし、こうした長所には必ず影があるわけで、例えば僕だと、

・仕事が雑
・あきっぽい
・時々気を使いすぎる

などが短所になるわけです。

いずれにせよ、このアサイメントでは、自分がどのようなリーダーで、どのような強みがあり、それを今後どのように伸ばしてゆくのか、レポートにしてまとめるものだ。


この機会に、このクラスで学んだ重要なフレームワーク3つをおさらいしておきたい。


フレームワークその1) COPモデル

COPは、リーダーとして成功するために必要な、3つの条件 (Competence(強み)、Opportunity(機会)、Passion(情熱))について解説したもので、この3つすべてがそろって初めて大きな成果を上げられる、というもの。

逆に足りないとどなるかというと、

Competence (強み)+ Passion (情熱)=単なる趣味
Opportunity (機会)+ Passion (情熱)= ロッキー(結果を出せずにボコボコにやられる)
Competence (強み)+Opportunity (機会)=雑用(面倒なだけのつまらない仕事)

cop.jpg

フレームワークその2) CVFモデル

CVFは、Competing Values Frameworkの略で、ミシガン大学が考案したものらしいです。このフレームワークは、Clan(仲間)、Adhocracy(柔軟性)、Market(結果主義)、Hierarchically(官僚主義)の4つの特徴から、組織の特性を見極めるというもので、これは個人の特性にも当てはめることができる。

ltrendka_img_0.jpg




フレームワークその2) CVFモデル

このフレームワークは、Gene Dalton と Paul Thompsonの二人が、リーダーシップの4つの段階について説明したもので、Apprentice(見習い)、Specialist(スペシャリスト)、Mentor/Manager(メンター/マネージャー)、Strategist(戦略家)とリーダーとしてのレベルが上がってゆくプロセスを説明している。

4stage.jpgネタは十分集まった。あとはこれらの素材を使ってペーパーを仕上げるだけです。がんばります。


Strategy Implementation 最後のクラス

|
今日はStrategy Implementation最後のクラス。マッキンゼー7Sモデル、コッター博士のリーディングチェンジモデルを中心に、主人公がトップマネジメント、ミドルマネジメント、一従業員と組織の階層をだんだんと下がってきたが、このクラスの最後の主人公は、「私達自身」だった。

リーディングアサイメントは、以前リーダーシップのクラスで読んだドラッカーの「Managing yourself」で、これからまた社会に出る我々に必要な心構えを説いてくれた。

ディスカッションのトピックは、自分達が銀行のローンの貸し出し担当者だとして、ポルノ関連の事業に出資をするのかどうか、ということだった。銀行のポリシーは、株主価値の最大化以外に何もなく、出資には何も問題はない。しかし、出資すれば社会的有害な事業を後押しすることになり、個人の信条に反することをしなければならない・・・。

組織としての利害と、個人の信条の衝突。これは今回のケースに関わらず、常に起こりうることだ。賄賂、環境汚染、幼児労働、賃金・・・。世界に目を向ければ、いくらでもその例を見つけることができる。その中の多くは、非常に複雑で、白黒の明確な線を引きづらいものばかりだ。

ジャクソン先生は、はっきりした違法行為はさておき、これらの問題に明確な答えはないと強調しつつ、どのように意思決定を行うかが、今後の自分達の未来と人格を形作る重要な指標になると指摘されいてた。

クラスの最後はスティーブン・R・コヴィー博士の7つの習慣と原則リーダーシップの概要を説明し、最後にStoneという短いビデオを見た。

このビデオは、アフリカで少年サッカーのコーチとしてボランティアで働くストーンという青年の短いドキュメンタリー。プロのサッカープレーヤーとして活躍していた彼が、試合中にある選手との接触で致命的なダメージを負い、選手生命を断たれた後、彼が母国の貧しい少年たちのために働く話が紹介されいてた。

ストーンは自分の選手生命を絶った選手を心から許し、新しい希望の光を少年達に植えるべく奮闘するのだが、リーダーシップのあり方について、非常に考えさせられた。以前フィオリーナー氏のリーダーシップの話をこのブログで紹介したが、憎しみの波紋が果てしなく広がっていくように、愛と許しの波紋も同じように広がって行くのだと感じた。

彼と同じように、我々もチェンジエージェントになることが、確かにできるのだ。


1080060101001.jpg

RSRcover.jpgコアクラスの中でも人気の高いクラス、リーダーシップ。毎回いろいろなリーディングアサイメントが課されていたが、最後から二つ目のアサイメントは「ジョセフ・スミスの人格」について。こんな内容のアサイメントが堂々と出るのはBYUならではだと思うが、LDSでない人は相当戸惑ったことだろう。

著者は、コロンビア大学の歴史の教授である、リチャード・ブッシュマン博士(Richard Bushman)。博士は、ハーバードで学士、修士、そして博士号を取得されている。専門はアメリカの初期の歴史などで、この分野の権威の一人だ。

この「ジョセフ・スミスの人格(The Character of Joseph Smith)」は、論文なのではなく、博士の「エッセイ」であると最初に説明されている。

かつてジョセフスミスは、なくなる2ヶ月前にこんな言葉を周囲の人に漏らしていたそうです。

「あなたたちは私という人間を知りません。決して知ることはないでしょう。」

さらに、こんな言葉も言っていたそうです。

「あなたたちは、私の心を決して知りません。私の人生を知る人は誰もいないのです。私の人生を信じないことであなた方を責めることはできません。もし私が自分で経験していなかったとしたら、私も信じられなかったことでしょう。」

非常に意味深な言葉ですが、そんなジョセフスミスの言葉を皮切りに、本当はどのような人物だったのか、歴史学の権威である博士が、莫大な文献の中から導き出した結論がまとめられている。


(1) Transparency, (2) sharpness in rebuke, (3) confidence, (4) love and enthusiasm。これが博士の結論なのだが、僕は十数ページに渡るこのエッセイを読みながら、なんだか元気が出てきた。僕の人生、個人的には挫折や苦労も多少なりともあったと個人的には思うが、彼よりも大きな責任や義務を負うことはないだろう。

下記が、最も感銘をうけたところ。

richard_bushman.jpgJoseph was repeatedly asked to carry out incredibly difficult errands for the Lord. Like Frodo’s in Lord of the Rings, Joseph’s assignments were impossible difficult –like translating the gold plates or building the city of Zion. These tasks would have defeated the most experienced and well-connected men. They were assigned to Joseph when he had nothing. Yet he simply went and did them. He let nothing stand in the way. For years the church existed almost entirely in his mind. He had to compel it into existence by sheer force of will. That effort required a man of rock-hard determination.


そんな訳で、僕は僕の道をゆこう。彼が彼の道を行ったように。


deklerk.jpg今日のディボーショナルは、南アフリカ共和国 元大統領・デクラーク氏が登場し、「Bridging the Gap: Globalization Without Isolation」というテーマで講演をしてくれた。


南アフリカ共和国といえば、アパルトヘイト及び、ネルソンマンデラ氏の名前が圧倒的に有名だが、デクラーク氏はマンデラ氏に負けないくらいの同国のキーマンだ。

デクラーク氏は、1989から1994に南アフリカ共和国の大統領を務めているのだが、彼は今までの政府の方針を転換し、黒人達との交渉によって南アフリカを決めていくといった現実的で柔軟な民主改革路線をとった。

その政策方針により、アフリカ民族会議 (ANC) やパン・アフリカニスト会議 (PAC) 、南ア共産党の非合法化を解除し、アフリカ民族会議指導者のネルソン・マンデラを釈放し、1992年にアパルトヘイト法を廃止した。

その功績から、彼は1993年度マンデラと共にノーベル平和賞を受賞。その後、マンデラ政権の第二副大統領に就任し、 1997年に政界から引退している。


彼の講演内容は、世界で起きている貧困、紛争などの問題に言及し、私達が取り組まなければならない問題について話されていた。以下、彼の話の抜粋。


・・・・・・・・・・・・・・

アフリカの多くの国は未だ貧困に苦しんでいます。皆さんの中には、そうは言ってもちゃんと進歩しているじゃないか、といわれるかもしれません。しかし、未だ未だ十分ではなく、私がこうして話している間にも、多くの人々が飢餓や病気で亡くなり続けているのです。

どうか、第三世界に皆さんの心を向けてください。皆さんが享受している、グローバリゼーションの恩恵を、第三世界の国々や人々と分かち合ってください。


世界には、未だ多くの戦争や紛争があります。しかし、物事を解決するために、必ずしも武力は必要ではありません。もっと異なる方法があるはずです。


・・・・・・・・・・・・・・


デクラー元大統領は、原稿を読んで話をしていたのだが、それでも彼の話は力強く、本当に訴えるものがあった。政界から引退したものの、彼の目線、そして話は常に世界全体に向けられていて、世界をよりよい場所にするために何が自分達にできるのかを、私達に考えさせてくれるものだった。



先日けんさんに、Dr.SticeのメッセージがAlumuni Magazineに載っているよ、と教えて頂いたので開いてみたのだが、素晴らしい話だった。彼のメッセージの中には、ここBYUで学ぶすべての者が学び、心に留めておかなければならないことのすべてが凝縮されていると感じた。

全米でもトップレベルの投資対効果の高い大学BYU。ここで学ぶ機会を得た人間は、与えられた機会と引き換えに、多くの義務を負うことになるのだと思う。


大学生だった頃、当時まだ大前研一氏の私塾だった「一新塾」に通っていたことがあるのだが、あるときにフリースクールなどで一躍有名になった白井智子さんが講師に来たことがあった。彼女は、東京大学法学部卒業後、松下政経塾に入塾し、教育改革をテーマに国内外の教育問題について研究をされていたのだが、松下政経塾での経験を振り返って、非常に面白いことを言っていた。


「松下政経塾では、毎月の給料を貰いながら、2年間、自分の自由な研究ができるんです。今考えてみると、松下幸之助という人は、本当によく物事を考えていたのだな、と思います。

お金を貰いながら、自由な研究ができるという環境を与えられて、ラッキーだなと思う人がいるかもしれません。しかし私は逆に、学んだことを、生涯、世のため、人のために使わなければならない、という重い十字架のようなものを背負ってしまったと感じたのです。それが、私が前に進む原動力の一つになっています。」


彼女のメッセージには、Dr. Sticeの話と通じるものが多くあると思う。彼はマリオットスクールを中心に話をしているが、この話はマリオットスクールの学生だけでなく、BYU プロボ校、ハワイ校、アイダホ校で学ぶ機会を得た、すべての人に当てはまる話だと思う。

自戒の意味と、多くのBYUの学生達、卒業生達が読んでくれることを期待して、彼の話を掲載しておきます。読まれた方で、心を動かされた方がいましたら、BYUの友人たちに紹介して頂ければうれしい限りです。


・・・・・・・・・・・
title.jpg
stice.jpgIn my previous assignment as director of the mba program, I had the opportunity to travel the world in search of potential mba students. Because of those experiences I met many individuals who have very little material wealth. Yet those who have so little faithfully pay their tithing so that we at byu— faculty, students, and thousands of graduates— can enjoy the blessings that abound on this campus.

I have met faithful Saints who would give all of their worldly possessions for the opportunity to attend byu, and I have had the haunting duty of informing many of those individuals that they will never enjoy the byu experience. Yet they continue to sacrifice so we can be here. After looking into so many hopeful eyes, I have spent a great deal of time wrestling with the question, “Why do they give so I can be here?”

The only answer that comforts my conscience is that byu is not here to bless the select few who are fortunate enough to study here. Instead, we select a few whose lives are blessed. They in turn are expected to go where the Lord would have them go to bless the lives of others.

At the Marriott School we are not about rankings, placement statistics, salaries, or the accolades of the world. These are side effects. A Marriott School experience is intended to change people who then are expected to go forth and use their influence and their example to change others. Tithe payers invest in byu, and they deserve a return on their investment. That return is demonstrated through an enduring commitment to use our skills and abilities in building the kingdom of God. That is what we are about.

If all we do in the Marriott School is produce quality accountants, competent investment bankers, or capable hr managers, then we have failed in our obligation to those who finance us. To borrow from one of Elder Dallin H. Oaks’ recent general conference addresses: “We should remember that it is not enough that something is good. Other choices are better, and still others are best.” Preparing students for their first job is good—but not good enough. Developing future leaders in the business world is better. But preparing graduates to be leaders in their professions, their communities, their churches, and their homes while explicitly instilling in them a commitment to go forth and build the kingdom is best.

Those associated with the Marriott School have a wonderful opportunity and a tremendous obligation. We must never forget those who sacrifice so much for those who work and study here. We cannot forget what they expect of each of us—a commitment to do what’s best.

Sincerely,
Jim Stice I Associate Dean


デリケートアーチから帰還して車に乗り込んだのは、4時半をまわったところだった。

僕 「社長、そろそろ時間がやばいと思うんですが。帰りませんか。」

社長(妻) 「ダメよ。あともう一箇所だけ絶対に行かなきゃいけないところがあるのよ。」

僕 「えー。でもこないだイエローストーンの帰りに道が暗くなって、死にそうになったじゃないですか。」

社長(妻) 「うるさいわね!行くったら行くのよ。ゴー!!」


社長命令がまたしても下り、我々はデットホースポイント州立公園へ行くことに。

mapdead.JPGキャニオンランズ国立公園の真横にあるデットホースポイント州立公園は、ユタ州で最も壮大な風景が見れるといわれている場所のひとつで、海抜1800メートルの位置から、コロラドリバーと、浸食された岩々を見下ろせる、絶景地だ。死にそうになったデリケートアーチのトレールとは異なり、車で絶景地のデットホースポイントまでピンポイントでいける気楽さがある。

アーチーズ国立公園を少し引き返し、左に曲がって車を走らせること30分、目的地に到着。

IMG_3144.jpg
IMG_3172.jpg
デットホース=死んだ馬、なんとも縁起の悪い名前だが、確かに社長(妻)が言うとおり、ものすごい眺めだ。この場所がどれだけすごいかは、Google Mapの地形で見てみるとよく分かる。赤い点が写真を撮ったデットホースポイント。

landhorse.JPG

しかし、やっぱりデリケートアーチの方が感動した。やっぱり、苦労して辿り着いた、という事実が大切で、人生、プロセスに苦労が多い分だけ達成感や感動も大きいということだろうか。

社長(妻) 「遊びの苦労はいいけど、人生の苦労はこの留学生活だけでもううんざりよ。」

僕 「ヒィー」


6時過ぎにデットホースポイントを後にし、ひたすら北西へ車を走らせ、プロボに戻ってきたのは10時過ぎだった。一泊二日の国立公園ハシゴツアーはこれにて終了。素晴らしい二日間だった。翌日、39度の高熱を出した事を除けば。

しかし、前回のイエローストーンといい、今回のブライス&アーチズといい、大活躍してくれたのは、林田師匠から譲り受けたけんさんからお借りしたた、地球の歩き方 アメリカの国立公園 。この本は、アメリカの国立公園をすべて網羅した、素晴らしい本だ。

ザイオンズやブライス、グランドキャニオンなどは、はラスベガスからレンタカーを使えば十分まわれる距離にあるので、日本からでも気楽にいけるのではないだろうか。

51xmw72zP9L._SL500_AA240_.jpg


翌日の計画をまったく立てていなかった我々一行。選択肢は二つあった。

選択肢その1) ラスベガスへ行き、寿司の食べ放題に行き、腹を満たす
選択肢その2) アーチーズ国立公園に行き、自然の景色を見ながら、心を満たす

どちらも同じくらいの距離。やっぱり寿司だろう!と、前日のギリギリまでラスベガスに行くつもりだったが、ここでラスベガスに行ったら、けんさんやあのお方から「アホか」と言われそうだったので、ここは経験を取ることに。


旅行中ということか、珍しく社長(妻)が早起きし、朝7時過ぎに出発。1時間ほど北上し、後はひたすら東へ進む我々一行。

toarches.JPG
アーチーズへ到着したのは11時過ぎ。

IMG_2990.jpgアーチーズ国立公園(Arches National Park)は、ユタ州の東に位置するの国立公園で、東京都の半分くらいのエリアに、類を見ない様々な地形に加え、世界的に有名なデリケート・アーチ (Delicate Arch) を含む、2,000を超える自然にできた砂岩のアーチがある。

IMG_3012.jpg名所のひとつ、バランス・ロック。今にも落ちそうだ。

IMG_3020.jpg
バランスロックからの風景。はるか向こうにも、アーチが一つ見えている。

IMG_3027.jpg
「きつそうだけど、やっぱりここだけは行っておかないと。」

社長(妻)命令が下り、我々一行はデリケートアーチのトレールを新入社員2名を連れてトライすることに。大人の足でも1時間くらいかかる、子連れではタフなハイキングだ。

IMG_3060.jpg新入社員を一人ずつ連れて歩く我々。

数十分後。

社長(妻) 「ちょっと、先にスタスタ歩かないでよ!!」

僕 「あ、すいません。ついつい。」


さらに数十分後。

社長(妻) 「ちょっと、何度言ったら分かるの!?先にスタスタ歩かないでよ!!」

僕 「ああ、すいません、すいません、ついつい。」

社長(妻) 「そんなんだから、家長じゃなくて(ラーメンマンの)アチョーって呼ばれるのよ!分かった!?」

僕 「・・・・・・・・」


ぐずる子供をなだめすかし、褒め、怒り、エサ(おかし)でつり、時にはだっこ、おんぶし、歩き続けること1時間半、くたくたになった我々の前に、ついにデリケートアーチが姿を表した。

アーチの手前の絶壁ルート。落ちたら間違いなく死にます。
IMG_3084.jpg
IMG_3091.jpgデリケートアーチは、あまりに有名なため、何度も写真では見たことがあったが、まさかここまですごいとは思わなかった。

写真で説明するのは難しいのだが、アーチの手前は、すり鉢状になった巨大な谷になっていて、100メートルくらいはゆうにあるだろうか。アーチの向こう側はとういうと、驚くべき大峡谷が広がっていて、吸い込まれそうだ。どちらにひっくり返っても、間違いなくあの世行きだ。

ためしにアーチの下まで行ってみることに。とにかくでかい。

IMG_3101.jpg
疲れ果てて歩く事を放棄した二人の息子を連れての岐路は地獄だったが、アーチーズは本当に素晴らしかった。食欲に負けないで、本当によかった。


今週は、MBAの学生が9割参加するNSMBAが全米で開催されるため、水曜日から学校は休み。日本で仕事を探している僕はこのイベントとは関係がないので、5連休だ。前々日まで迷ったが、この機会にユタの南にある国立公園に行ってみることにした。

前日にけんさんからいろいろと情報を聞き入れ、絶景地と名高いブライスキャニオン国立公園に行く事にした。水曜日の朝7時に出発する予定だったが、見事に寝坊。出発したのは9時半だった。

maptobryce.JPG1-15をひたすら南下すること5時間。無事にブライスキャニオン国立公園に到着。

IMG_2957.jpgブライス・キャニオンには、1850年代に住みついたモルモン開拓者のエベニーザー・ブライス (Ebenezer Bryce) に因んだもので、1928年に国立公園に指定されている。

ブライス・キャニオン国立公園(Bryce Canyon National Park)は、米国ユタ州南西部に位置する国立公園で、キャニオンというより、むしろ高原の東側沿いの浸食によってできた巨大な自然の円形劇場で、風、水、氷による川床と湖床の堆積岩の浸食により形成された岩が、公園を訪れる人々に見事な風景を見せてくれる。


IMG_2831.jpg

我々一行はサンセットポイントにまず行き、かの有名なナバホループトレイルを歩いてみる事に。

IMG_2844.jpg谷底まで20分くらい。手すりなんてものはなく、とにかく子供の手を注意して引きながらのハイキング。

IMG_2879.jpg
谷底に降りてみると、なんと驚いた事に、ながーい杉の木がそびえ立っていた。太陽のヒカリを求めて、ひたすら上に伸び続けたその姿は、僕らに何を訴えかけているのだろうか。

IMG_2866.jpg
この日は、6時前までブライスキャニオンで過ごし、手前の町で宿泊。翌日の計画を練ることに。

LDSの方で、このブログを読んでいる方がいましたら、たかにし ひでしBをご存知ありませんか。

先日 のCISディナーの席で、横に座っていたZeballos夫人から、Elder ZeballosがMBA在籍時にたかにし家族と仲良くしていたのだが、卒業後連絡が取れなくなったので、連絡先を調べてくれないか、と頼まれました。


BYUの記録を見る限り、たかにしBは、91年にBYU MBAを卒業されていて、その後、GAGA Communicationsにお勤めになったようです。

残念ながら、僕はまったく連絡先は分かりません。心当たりのある方がいましたら、僕にメールを送るか、このエントリのコメントに書き込んでいただけたら大変あり難いです。

よろしくお願いします。



610x.jpg次のStrategy Implementationのアサイメントは、メグ・ウィットマン率いるeBayのケースと、カーリー・フィオリーナが退任した直後のHPのケースだ。どちらも、30ページ弱のなかなかのボリュームだが、とにかく面白い。eBayとHP。僕にとって両社は今年一月のシリコンバレーツアーで本社を訪問する機会を得た会社であり、その意味でも、読んでいて非常に楽しいケースだ。


メグ・ウィットマン、かーりー・フィオリーナー共に、アメリカを代表するハイテク企業の女性経営者であり、ウィットマン氏はハーバードでMBAを、フィオリーナー氏はMITでそれぞれMBAを取得しているなど、共通点は多い。


今回のケースのポイントは、コーポレートカルチャーをどのように扱うのか、というものなのだが、二人のアプローチが対照的で興味深い。

fiorina2.jpg創業者とのコミュニケーションを常に重んじ、彼らが作り上げた企業文化を大切にしてはぐくみながらビジネスを拡大してきたeBayのウィットマンに対し、コンパックの合併などで創業者と対立し、HP Wayとして知られる有名な企業文化を破壊したフィオリーナー氏。

結局、フィオリーナー氏は、創業一族との法廷闘争に勝利し、コンパックの合併を成功させたものの、彼女が進めた経営スタイルは、モラルの低下と従業員の流出を招き、業績は下降の一途を辿り、ついに解任されてしまう。

逆に、eBayのウィットマンは順調に事業を拡大し、つい数ヶ月前に自らCEOを退任した。


興味深いのはその後のHPで、CEOの座はその後NCR出身のマーク・ハード氏に引き継がれるのだが、企業文化を重んじる彼のマネジメントの元、2006年にHPの年間売上高は917億ドルに達し、IBMが発表した2006年度の決算(売上高914億ドル)を抜き、世界第1位のIT企業へと成長している。


ここまで話すと、「ああ、やっぱり企業文化は守らなければいかんのねー。」という安易な結論に行きそうだが、実際はそんなに単純ではなく、企業文化の中には毒になるようなものもあるわけで、企業文化の中で、何を残し、何をなくしてゆくのか、よく考える必要があるのではと思う。

また、HPウェイのように明文化されたステートメントと、その応用は別問題。官僚主義に陥って非効率と業績低下を招いていたフィオリーナー氏は、Rule of the Garageという新しい明文化されたミッションステートメントを打ち出し、社内に広めていったが、もしかすると、HPの企業文化の命であるHP Wayと対抗するような新しいものを使う必要などなく、ステートメントはそのままに、応用の新しい解釈を広めていけば、もっと違う結果があったのかもしれない。


そういえば、僕が結婚する前に、実家の家族会議で家族のミッションステートメントを作ろう、という活動をしたことがある。

妹 「では、今日は我が家のミッションステートメントを作りたいと思います!」

(一時間ほど議論)

皆 「ワー、できた!これだー!!」

妹 「じゃあ、読み上げます!」

皆 「おお!」

妹 「無理しない、かっこつけない、がんばらない家族!!がんばるのをやめようー!!」

皆 「やめようー!!・・・・・・あれ?(こんなんでいいのか?)」


マリオットホテルでCISディナー

|
General Conference の前日の金曜日に、CIS奨学金を貰っている生徒達向けの、特別なディナーがソルトレークのマリオットホテルで開かれた。

今年のCISのスペシャリストであるネルソンのお父さんはSeventyとして働いているのだが、そのElder Zivicが調整をしてくれて、CISプログラムの卒業生で、現在Seventyとして働いている3人のGeneral Authorityたちを囲んでの、特別なディナーを計画してくれた。

4時にタナービルディングの入り口に集合し、2台のバンに乗って一路ソルトレークのマリオットホテルまで。

Elder Zivic以下、次の3人の卒業生が来て下さった。

Elder Zivic
zivic_medium.jpg
Elder Aidukaitis
med_Aidukaitis.jpg
Elder Godoy
Elder Zeballos


広間に4つのテーフルが用意されていて、それぞれのテーブルに夫妻が着席してのディナーで、僕はElder Zeballos夫妻のテーブルに着席。横に座っていたZeballos夫人から、留学時のいろいろな話を聞くことができた。

最後は、4人からそれぞれ話を聞くことができたのだが、特にElder Aidukaitisの話が非常に感動的だった。

・・・・・・・・・・

皆さんがどのような決意を「今」するかが非常に重要です。私がMBAにいるときに、私の母親がアメリカ人と再婚をした関係で、私も母もグリーンカードを貰うことができました。当時は私の故郷であるブラジルも経済状態が悪く、アメリカに残った方がよいと考える友人も多くいました。

アメリカに残る易しい道と、ブラジルに帰る困難な道。どちらを選ぶか難しい選択でしたが、私はCISで約束したとおり、自分の国の人々に仕える道を選びました。そのときの決意が、その後の私の人生を形作ってくれたのです。

・・・・・・・・・・

どの方々も、決意することの大切さと、人々に貢献し、仕えることの重要性を説いていたのが印象的だった。20程年前、どの方々も、僕らと同じようにBYUのMBAプログラムに在籍し、勉強していたことを考えると、非常に感慨深い。

久しぶりに心が鼓舞される、素晴らしい夜でした。

new_logo.gif毎年この時期は、BYUマネジメントソサイエティのリーダー・シップ・カンファレンスがMarriott School(BYUプロボ)で開催される。この会には、世界各国の支部のリーダーが招待され、情報交換、交流が行なわれる。

思えばこのマネジメントソサイエティと関わりを持ったことが、僕がMBAに留学するきっかけを作ってくれた。感慨深いものだ。



BYU Management Societyとは何か。同Societyは、ベイトマン前BYU学長の呼びかけで、ビジネス学部(現Marriott School of Management)の卒業生およびこれを支援する人々の組織として1977年設立された(僕が生まれた年です)。

同会の会員はBYUおよびMarriott Schoolの卒業生、そして、同スクールが掲げるビジネス倫理、道徳観、キャリア・ディベロップメント、教育理念等と同じ標準、価値観を有する、あらゆるビジネス・プロフェッショナルが参加していて、現在会員数6,000人、全米40都市、世界10カ国に広がっている。


Management Societyは次のような目的を持っている。


1. ネットワーキング

 Marriott School卒業生、およびこれを支援する人々のネットワークを築き、会員相互のサポート、キャリア・ディベロップメントを図る為の中心的役割を果たす。  支部数、会員数を拡大する事で、以下の活動を推進する

① 会員のビジネス・コンタクトを相互活用する
② 会員間でミーティング、ディスカッションを行なう
③ インターネットなどを通じてメンバー間の情報交換、相互サポートを図る


2. キャリア・ディベロップメント

自らのキャリアを常に継続開発する為に、若手から経験豊かなエグゼクティブが参加して、会員同士が啓蒙できる環境を作る。


3. BYUおよびMarriott Schoolのサポート

Marriott SchoolがLDSの教えに沿った高い標準、教育を維持する為の母体として機能する。在校生への助言、CISプログラム(外国人学生向け奨学金制度)等を通じてのサポートが期待されている。


4. コミュニティ・サービス

大きな独自性を認められている各支部は、会員のスキル・能力・興味を生かし、LDSの理念に基づいたコミュニティ・サービスが期待されている。

・・・・・・・・・・・・・


日本からは、代表をしているまことの代わりに、JMBAA初代人事部長・雪本たすく君が出席。昨晩は夕食を一緒にする機会があった。

個人的には、僕はこの組織は運営方法によっては大化けするのではないかと思っている。日本では、雇用センターやCES、LDS Business Lunchonなどがばらばらに動いているのだが、これらの活動を、この組織の傘の元に統合し、シナジーを生み出すことができるのでは、と思っている。

今回のカンファレンスには、僕も参加すればよかったのだが、参加者をターゲットにした、マリオットスクールショップの店番などがあり、ちらっと様子をみて終了。たすく君から今度また詳しい話を聞こうと思う。


毎週木曜日朝7時(!)はCISセミナーが開催されている。これは、CIS奨学金を受け取っている生徒が出席しなければならない必須のクラスで、去年は月一だったが、ドナーやプログラム側が月一では不十分だったと思ったのか、毎週のセミナーに変更された。朝7時は地獄だと思っていたが、一ヶ月にもなるともう次第に慣れてきた。


なんでネルソンがDr.Stice の記事を送ったのかと思ったら、今日はDr.Stice がセミナーに登場した。Dr.Sticeは今年の初めに、MBA Directorから、準学長としてマリオットスクールで働いている。

下記が今日の話のメイントピック。

・・・・・・・・・・・・

あなたたちは、「違い」を生み出すためにここにいます。BYUは多くの寄付と支援で運営されています。皆さんがここで教育を受けることができるのは、彼らのお陰です。ですから自分の国に戻り、彼らに仕えることによって、皆さんが受けたものを返す必要があります。


皆さんに警告したいと思います。「忙しさ」にまどわされず、第一のものを第一にしてください。Pray Everyday and Constant Study of Scripture これが最も大事な日々の習慣です。日々この習慣を怠ることがなければ、皆さんはこのプログラムを終了するとき、さらに高い人格を身に付けることができるでしょう。

・・・・・・・・・・

人生の優先順位を再確認するいい機会になりました。


ネルソンからメールで回ってきた、Dr.Sticeのスピーチ。全部貼り付けるのはどうかと思ったけど、素晴らしい話なので、このブログにも保存しておこうと思う。


The Weight of the World

JAMES D. STICE 


James D. Stice was the associate director of the Marriott School of Management's
MBA program at BYU when this devotional address was given on 2 October 2001.

© Brigham Young University. All rights reserved.

Complete volumes of Speeches are available wherever LDS books are sold.

For further information contact:
Speeches, 218 University Press Building, Provo, Utah 84602.


Have you ever picked up a fully loaded pack at the start of a really long hike? It is almost staggering as you try and throw it on your shoulders and secure it to your frame. However, once you get it adjusted on your back and hit your hiking stride, it may still be heavy but you are able to manage.

Well, school has started. You have had four weeks to get into the swing of things. Initially your class load, your work schedule, your social life, and your family and church responsibilities all considered together might have appeared a bit too much. By now, though, many of you have adjusted to your load. But some of you have not. For some of you, juggling all the aspects of your life is a challenge. And just when you think you have got your pack adjusted, a little weight gets added.

It turns out that each of us has at one time or another felt--or will feel--the weight of the world on our shoulders. My purpose today is to remind us that we are not involved in a weight-lifting competition to determine whose world weighs the most. Instead, we are involved in the competition of helping others to lift the weight of their world when it becomes unbearable.

I am a Gospel Doctrine teacher in my ward. This year I have come to appreciate the struggles that the early Saints endured so that I might enjoy the many blessings of the gospel. I often wonder how they were able to go on in the face of such oppression and opposition. Imagine this: In 1831 a group of Saints leave the comfort of their homes in the state of New York and head for Kirtland, Ohio, only to be told that they are to go to Jackson County, Missouri. Jackson County was then the wild frontier. The Saints buy land, clear it, build houses, and plant crops. All is well--for a couple of years. Then they are forced out. Off they go across the Missouri River to Clay County, where they buy land, clear it, build houses, and plant crops. All is well--for a couple of years. Then they are forced out. Then off they go to Far West, where they buy land, clear it, build houses, and plant crops. In March 1838 the Prophet Joseph Smith joins them from Kirtland. Finally, all is well--for six months--until Governor Boggs issues the extermination order. The Prophet is arrested almost immediately and eventually ends up in Liberty Jail, where he spends approximately four months.

While the Prophet was imprisoned, what was happening to the Saints? About 8,000 members of the Church were run out of their homes and forced to flee to Illinois. The anguished prayer offered by Joseph Smith during that period is found in section 121 of the Doctrine and Covenants. That prayer reflects the same feelings shared by people around the world in the wake of last month's terrorist attacks.

 

O God, where art thou? And where is the pavilion that covereth thy hiding place?

How long shall thy hand be stayed, and thine eye, yea thy pure eye, behold from the eternal heavens the wrongs of thy people and of thy servants, and thine ear be penetrated with their cries?

Yea, O Lord, how long shall they suffer these wrongs and unlawful oppressions, before thine heart shall be softened toward them, and thy bowels be moved with compassion toward them? . . .

Let thine anger be kindled against our enemies; and, in the fury of thine heart, with thy sword avenge us of our wrongs.

Remember thy suffering saints, O our God; and thy servants will rejoice in thy name forever. [D&C 121:1–3, 5–6]

 

One can sense in the Prophet's pleas his despair and his frustration. His followers were being exterminated--or, if they were lucky, simply driven to a swamp in Illinois--and he could do absolutely nothing to help. Joseph felt the weight of the world on his shoulders--and that was a lot of weight. President Bush has felt a similar weight this past month as he has sought to lead the United States--and the world--in a civilized response to the uncivilized attacks in New York City and Washington, D.C.

Fortunately for us, we are not expected to carry the weight of a prophet's world or a president's world. I am grateful for that. My world is heavy enough, as, I am sure, is yours. Still there are times when the weight of my world gets heavier as challenges come. In times like those I am grateful for the help heaven sends that allows me to carry on. And I am grateful for people who are sensitive to the promptings of the Spirit and who help me with my load in my times of need.

I would like to share with you several experiences from the scriptures and from my life that illustrate how worlds can get heavy and how we can, with heaven's help, assist other people by lightening their loads. Some of the examples that I will describe will seem very small, especially when compared with the suffering of the Saints in Missouri or that of the victims in New York. But the examples I will share were not small to the participants. My message is not one of comparing burdens. It is about sharing burdens and not judging the severity of someone else's trial.

I have a six-year-old daughter named Cierra. She is the youngest of our seven children. Her favorite thing to do is play dress-up with her friends. When I walk into the house, I never know what my role is to be. She, with her friends Madison and Bethany, may be Snow White or Ariel or Jasmine or Sleeping Beauty--otherwise known as Princess Aurora--and I may instantly be called on to be Prince Eric or King Triton or Gaston or the wicked Jafar. I must always be on my toes because these girls take their game seriously. They don't like it when an amateur messes up his lines.

I went into Cierra's room at the end of a recent hard day of playing dress-up. It looked like a Disney Store had exploded. There were outfits everywhere, with props all over the place. I went in search of the princess because someone was going to clean up this mess, and that someone was not going to be me. I found Cierra and calmly explained to her the situation and my concern. She immediately understood and headed to her room to take care of the problem. After five minutes I went to her room--her still messy room--to find her playing with her Barbies. I asked what she was doing, and she said, as though I was a bit slow, "I'm playing Barbies."

"But, Cierra," I said, "I thought you were going to clean up this room."

She said to me, "But, Daddy, there is too much stuff out. Besides, I didn't make this whole mess by myself."

I then explained to her that she should have thought of that when she and her friends were making the mess. "Now clean up this mess," I sternly declared.

I went back every five minutes or so to make sure she was staying on task, and, bless her heart, she kept trying. But the mess was too big for her. After all, three little girls together make a much bigger mess than three little girls individually. There is some synergy there.

After a half-hour of periodically checking on her and verbally poking her to keep her working, I again went into her room only to find her lying on her bed with her back to the door. I marched over to the bed thinking she had gone to sleep. How dare she do that! Just as I reached down to turn her over, she rolled back and, with big, tear-filled brown eyes, said, "Daddy, it's too hard."

The weight of a six-year-old's world can get very heavy--to a six-year-old. She did not want to hear me say, "I could clean this room up in five minutes" or "When I was your age . . ." At that moment the weight was too much, and she needed relief. So Prince Eric picked her up, and he, together with Princess Ariel, cleaned up the castle. It didn't take much effort on my part to lighten a load that to her had become too heavy.

Recall from the Book of Mormon the story of Alma the Elder and Abinadi. Alma believed the words of the prophet Abinadi, and he then himself became a mighty prophet. In one of his sermons by the Waters of Mormon, Alma detailed the characteristics of one who desires to come into the fold of God and be baptized:

 

Ye are desirous to come into the fold of God, and to be called his people, and are willing to bear one another's burdens, that they may be light;

Yea, and are willing to mourn with those that mourn; yea, and comfort those that stand in need of comfort, and to stand as witnesses of God at all times and in all things, and in all places that ye may be in, even until death. [Mosiah 18:8–9]

 

Baptism is an outward ordinance signifying a change that occurs on the inside. Alma taught that true followers of Jesus Christ should demonstrate a willingness "to bear one another's burdens, that they may be light." Sometimes it is as easy as helping to pick up a messy room. In fact, I would argue that, in many cases, lightening the load of someone else is easy--because it is their load. The burden is not weighing us down. If we are earnestly striving to do God's will, He will often direct us to those who might need our help, and He will inspire us as to what we might do--if we are paying attention. And sometimes Heavenly Father takes matters into His own hands and does what needs to be done when others can't do it.

Let me share with you a brief missionary story. Our oldest son J.D. (our number-two child) is 19 years old. He was called on a mission and assigned to serve in the Peru Lima North Mission. He was to spend three weeks in the Provo MTC and then head to the MTC in Lima for six weeks. When we left him at the MTC here in Provo, we left him knowing that in three weeks we would see him at the airport. My dear wife had spent 19 years raising this young man. For 19 years, raising him was her full-time job. When she put him in the MTC, she was forced into a kind of retirement. No longer would she be right there to help him solve his problems or, in those instances when he was the problem, help him to see what he could do better. Now he was out of her reach, and so she, like all mothers, worried. And because he was her first missionary, she worried all the more.

She regularly sent letters and care packages to the MTC, and on occasion she would drive by the MTC in hopes of perhaps catching a glimpse of her missionary. I should note that she never got his schedule so that she could time things just right--after all, that would have been against the rules. She would just randomly drive by the MTC, and she would consistently strike out. She saw everyone else's missionary, but she never saw hers. But that was okay, because after three weeks she would see him at the airport.

Then we got the phone call telling us that the hoped-for reunion was not to be. Visa problems would prevent his leaving on time. Three weeks would stretch to nine weeks. It's not a long time, but when your heart is set on seeing your missionary on a certain day, what a disappointment it is to find out it just isn't going to happen.

On the day J.D. was originally supposed to leave, I, without any clue as to the significance of the day, went with my wife to mail J.D. a package. As we were leaving the parking lot of the post office, she said, with a quiver in her voice, "I was supposed to see my son today." I could hear in her voice the ache in her heart. After a moment she then said, "I think Heavenly Father will let me see my son today." So off we went to the MTC with me thinking, "Sure, honey, like that will happen. Three thousand missionaries up there coming and going all the time, and we are going to see J.D. I don't think so."

We circled the field that is in front of the temple and just across the street from the MTC. On the south end of that field is a parking lot. As we approached that parking lot, there stood J.D., just as though he had been waiting for us. We pulled over, and out she jumped. As my wife threw her arms around her boy, I saw the weight of her world lifted off her shoulders as she saw with her own eyes what had become of her son. That was all she needed, and if she had not been listening to the promptings of the Spirit, we would have missed him.

I was reminded of two things on that day: (1) never trifle with the faith of a mother; and (2) Heavenly Father is mindful of each of His children. He knows our weight-lifting capacity, and He is there to help us when life starts to get heavy.

In most cases Heavenly Father uses us to lighten someone else's load. In the case of my Cierra, an understanding father pitched in and helped. Sometimes heaven takes matters into its own hands, as was the case with my dear wife seeing her missionary son. In both cases the burden was lifted. But sometimes the burden is not lifted immediately or in a manner that we would like. Recall when Alma and his followers were held captive by the Lamanites. Amulon, one of the former wicked priests of King Noah, was their ruler. Amulon and Alma had been companions in wickedness as priests of King Noah, and now Amulon didn't like the repentant Alma or his followers. In Mosiah 24 we read that "he exercised authority over them, and put tasks upon them, and put taskmasters over them" (Mosiah 24:9). In short, Amulon made it his goal to make life miserable for Alma and his followers. And it worked. In verse 10 we read, "And it came to pass that so great were their afflictions that they began to cry mightily to God." Seeing this, Amulon outlawed prayer and decreed that anyone "found calling upon God should be put to death" (verse 11). So Alma and his people prayed in their hearts, and the Lord heard their cries, and He answered their prayers in an interesting sort of way. We read:

 

And I will also ease the burdens which are put upon your shoulders, that even you cannot feel them upon your backs, even while you are in bondage; and this will I do that ye may stand as witnesses for me hereafter, and that ye may know of a surety that I, the Lord God, do visit my people in their afflictions.

And now it came to pass that the burdens which were laid upon Alma and his brethren were made light; yea, the Lord did strengthen them that they could bear up their burdens with ease, and they did submit cheerfully and with patience to all the will of the Lord. [Mosiah 24:14–15]

 

In the case of Alma and his followers, rather than remove the burden, the Lord gave them increased strength to bear their burdens. And why? That they would know of a surety that the Lord does visit His people in their afflictions. I know this is true. There is personal growth that comes from receiving the strength to bear a burden. Sometimes that strength comes straight from heaven, and sometimes that strength comes from others who are sent by heaven.

Let me share with you the moment in my life when my world was its heaviest. One of our children was born with serious medical problems. The doctors knew the instant she arrived that all was not well. You have all probably seen those red emergency buttons that are in hospital rooms and have wondered, "What would happen if I were to push that button?" In this instance that button was pushed, and controlled chaos erupted. Doctors and nurses came running from all over the hospital. We, the parents, were pushed to the side as they took our baby and immediately prepped her for surgery. It turned out that her insides were not hooked together properly, and if they didn't act quickly she would not survive. And even if they did act quickly, things didn't look hopeful. We were told prior to the surgery that many babies with her condition just didn't make it. She was just a little over six pounds, less than one hour old, and she was going under the knife.

In less than one hour I had gone from the highest high to the lowest low. One minute my wife and I were eagerly awaiting the arrival of our beautiful baby. The next minute we were being told that this one might not ever go home with us. The weight of our world became crushing--and earthly angels instantly rushed to our aid to help us lift the burden. Family members, ward members, friends, and strangers--people we did not know--literally did all they could to help us face this struggle. And, believe me, watching a tiny newborn fight for life is a very heavy burden to bear. She made it through the first surgery. That was followed by ups and downs and then another surgery, and then another.

My wife or I were always at the hospital in hopes that our baby would somehow know that however things turned out, she was loved and she was not alone. All the while our other children were cared for. Food appeared from out of nowhere, and dirty dishes would simply vanish. The clothes hampers were always empty and the clothes closets were always full. Children would disappear for sleep-overs and reappear, well-kept, days later. People fasted for our baby. Prayers were offered for our baby and for our family--and the blessings of heaven rained down on our home. As with Alma and his people, the Lord did strengthen us that we could bear our burdens with ease. In this case we were strengthened by the willingness of countless Saints to magnify their baptismal covenants and help bear our burdens, mourn with us, and comfort us. After three surgeries and 35 days in the newborn intensive care unit, our baby came home, and she was perfect. Now, six years later, I am her prince and she is my princess. It was only through heaven's help and through the help of those around me that I was able to carry the weight of my world. I don't think I could have done it on my own.

For each of us there are moments when the weight of our world becomes almost unbearable. Interestingly enough, we each probably have classmates, friends, or family members who are, right now, experiencing dark moments and who need our help. Is Heavenly Father trying to tap us on the shoulder to point out those in need? Are we paying attention, or are we caught up in the thick of thin things?

Six years ago this month, from this very pulpit, President Hinckley gave a devotional talk about what the Church expects of each of us. President Hinckley reminded the students of BYU, as Paul of old had reminded the Hebrews, "Wherefore lift up the hands which hang down, and strengthen the feeble knees" (JST, Hebrews 12:12). The prophet then went on to provide this counsel:

 

I know that you are engrossed with your studies. This is important, but in a sense it is a selfish pursuit. Take a little time, now and again, to reach out to help others--there are those right around you, students in need of a little kindness, a little attention, a little appreciation. . . .

Give expression to the noble desires that lie within your hearts to reach out to comfort, sustain, and build others. As you do so, the cankering poison of selfishness will leave you, and it will be replaced by a sweet and wonderful feeling that seems to come in no other way. Never forget that the Church expects you to be benevolent and to do good to all men. [Gordon B. Hinckley, "To a Man Who Has Done What This Church Expects of Each of Us," BYU 1995–96 Speeches (Provo: BYU, 1996), 54]

 

So what can we do? Let me suggest three things. First, lend a listening ear. Often after a hard day at the office, when it has felt like nothing can go right, I will go home and my wife will sense that it was a particularly tough day. She will sit me down, hold me close, and ask about my day. I will begin with something like, "All the other kids at school picked on me today." She will then listen as I tell her what went wrong and why it wasn't fair. At the appropriate times she will say something like, "I understand how you feel" or "That would have upset me, too." For a moment she lets me rest my load on her shoulders long enough for me to gather my strength, take a deep breath, and wade back into life.

When we are hiking in the mountains with a fully loaded pack, we look for those shady spots where we can rest for a moment, remove the weight from our backs, take a drink, and gather our strength for the rest of the journey. Listening is a shady spot on the trail of life. I don't need you to take my burdens. After all, how I handle my burdens is going to help develop celestial qualities within me. What I need is for you to, on occasion, hold them for me for just a moment while I rest and gather my strength.

Second, look for small things. Too often we look for huge things to do to lighten someone's load. Then, not finding big things to do, we often do nothing, thinking that the little things won't make a difference. But for me it is often the multitude of little things that gets me down. If someone would help me with those little things, I could then harness my energies for the big challenges.

When Cierra was in the hospital going through her struggles, it was the little things of life that were annoyingly distracting. Here is a simple little example. Every time I would come home from the hospital or from work, I would notice the newspapers scattered about on the front porch. At the time I didn't care much about the news of the world. I didn't have any desire to read the paper--or even to pick it up. So they started to accumulate. Those scattered newspapers would bother me every time I drove into the garage. I always meant to pick them up and throw them away, but that small task never even came close to making it onto my to-do list. Then one day I noticed they were gone. I was so stunned that I walked over to the front door. All the papers had been gathered in a neat little pile placed by the door. Every couple of days the newspapers would be gathered and placed in a neat pile by the front door. Who did it? I have no idea. Did that small thing make a difference to me? Absolutely!

Look for small things. To you they may not seem a big deal. But to the recipient your small deed may make a difference.

Here is my final suggestion: Err on the side of action. Have you ever found yourself face-to-face with an opportunity to help someone and said something like, "Surely someone else will help" or "I don't have the time right now" or "I have my own problems to worry about"? When it comes to helping others, when in doubt, get in the game. If there is help that needs to be given, give it. If you can make a difference for good, make it. Don't wait for an engraved invitation. Don't worry about what others might think. If the Spirit whispers to you that something needs to be done, do it.

So now you have my three suggestions: (1) lend a listening ear; (2) look for small things; and (3) err on the side of action. If implemented, they will allow us to lighten the loads of those whose worlds are too heavy.

Recall the prophet's pleas in Liberty Jail when his burden seemed at its heaviest. The Lord was mindful of Joseph's plight, as we read in verses 7 and 8 of section 121:

 

My son, peace be unto thy soul; thine adversity and thine afflictions shall be but a small moment;

And then, if thou endure it well, God shall exalt thee on high.

 

In one of Joseph's darkest moments, the Lord reached down and blessed him with the strength to go on. May we be an instrument in God's hands to make the burdens of others last for "but a small moment." Let us lift up the hands of those whose hang down, that they may "endure it well." There are people in our midst whose backs are bent from the weight of their world. It is our duty to seek them out and do what we can to lighten their load. I leave this challenge with each of us in the name of Jesus Christ, amen.

卓越した教師、Dr.Jackson

|
wbj.jpg今セメに入って履修しているクラスで、本当に取ってよかった、と思っているのが、Dr.Jacksonの教えるStrategy Implementation。このクラスは、同じ時間に、秋のセメスターで最も人気があるクラスの一つである、ウィットラック教授の、アントレプレナー・マーケティングがあったので、結構悩んだのだが、本当に正解だった。


新しいことを次々に学ぶMBAのクラスには珍しく、このクラスは振り返ってみると、マッキンゼーの7Sモデルと、Change Managementのモデルだけを基本に学び、後はひたすらケースをそれらのフレームワークに当てはめて分析する、というもので、気がづくといろいろな物事を、これらのフレームワークに当てはめて考えている自分がいて、「Implementation」というクラスの名前に偽りなく、戦略のフレームワークが「身に付く」クラスだ。


ケースのセレクションも、実によく考えられていて、

1.マッキンゼーの7Sモデルの記事
2.7Sモデルの成功例を学ぶケース
3.7Sモデルの失敗例を学ぶケース

4.コッター博士のLeading Changeのフレームワークの記事
5.Leading Changeのフレームワークをトップマネジメントの立場から考えるケース
6.Leading Changeのフレームワークをミドルマネジメントの立場から考えるケース

という風に流れている。


さらに、この流れの中に、チームプレゼンテーション、ケースライティング、ファイナルレポートなどが挟まれていて、いろいろな観点から基本の2つのフレームワークを身に付けられるように意図されている。


ちなみに、今日10月1日は、ジャクソン教授の67歳の誕生日ということで、生徒が用意したケーキを皆で食べながら、チームプレゼンテーションを見ている。クラスの最初には、ジャクソン教授の半生の写真が紹介され、中には、アイリング管長がスタンフォードに在籍していたときに一緒に撮った写真もあり、皆大喜び。


ジャクソン先生、これからもお体を大事に、マリオットスクールで教鞭をとり続けてください。

Devotional: Elder Robert R. Steuer

|
m-DownloadedFile.jpegマリオットセンターへ行こうかと思ったが、一緒にいたブラジル人のルイースが教室で見よう、ということになり、今マリオットスクールの教室でブロードキャストを見ている。

下記がElder Steuerのプロフィール。

Elder Steuer was sustained as a member of the Second Quorum of the Seventy of The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints on 31 March 2001. He has served as president of the Brazil North Area and has also served as a counselor in that area. Elder Steuer is currently serving in the Missionary and Correlation Departments.

A diagnostic physician, Elder Steuer was founder and chairman of Hemametrics Corporation. He earned bachelor’s and medical degrees from the University of Minnesota.


引用されていたファウストEの言葉が心に残った。

「人生においては、どのような物事が起こるかが問題なのではなく、起こってくる物事に対し、どのように対処するかが問題なのだ。」

昔、悩んでいたときの僕に、同じようなことを教えてくれた友人がいたが、あれから10年以上経った今、同じメッセージを聞いても、あまり進歩していない自分がいるようで、ちょっと心苦しい。

また、引用していたガンジーの詩も非常に興味深い。

“Sin is: Wealth without work, Pleasure without conscience, Knowledge without character, Commerce without morality, Science without humanity, Worship without sacrifice, Politics without principles”


罪とは、働かずに得る富、良心なき喜び、人格なき知識、モラルなき商売、謙遜なき科学、犠牲なき礼拝、そして、原則なき政治だ。



今日のディボーショナルも、いろいろと学ばさせて頂きました。感謝です。

バーバCEOに行った話

|

プロボに帰還してはや一ヵ月半。そろそろ髪も伸びてきた。

僕 「社長、社長、そろそろ髪を切らせていただきたいのですが。」

社長(妻) 「髪?ダメよ。こっちに来てからあんたが働かないので、毎月赤字じゃないの。経費削減の一環で、もう床屋にいくのは禁止よ。」

僕 「えっ!?床屋って言っても、10ドル(約1000円)ですよ。」

社長(妻) 「10ドルって言ったら、私の大好きなカフェリオのメキシカンサラダが頼める大金じゃないの。私が切ってあげるから、服を脱ぎなさい。」

僕 「社長、大人の髪の毛を切ったご経験があるんですか?」

社長(妻) 「ないわよ。あなたが第一号。」

僕 「・・・・・・・・・。」


いろいろ抵抗はしたのだが、やはりCEO(超・偉い・奥さん)の権力の元に屈するしかなく、数分後にはバーバCEOで髪をきることに。

ゴミ袋に穴を開けたものを頭からかぶらされ、散髪開始。社長の散髪ツールは、日本で購入した安物のすきバサミ。


パチン、パチン、ブチブチ

パチン、パチン、ブチブチ


僕 「ギャー、社長!髪の毛がはさみに引っかかってますよ!痛い、痛い」

社長(妻) 「うるさいわねぇ!静かにしなさい!」


そしてとうとう恐れていたことが。耳周りを切っていた社長。

パチン!

僕 「ギャー、耳が切れたー!」

社長(妻) 「あらら、ごめんごめん。気をつけなくっちゃ。ホホホホ。」


その後も何とか耐え、散髪もほぼ終わりに差し掛かってきてほっと一安心。

僕 「ハァ、やっと終わりですか。もういいですか?」

社長(妻) 「最後に、あんたの村山総理みたいな眉毛切るから顔出しなさい。」


最後の仕上げに、眉毛をジャキジャキ切る社長(妻)。そして、ついに最後の悲劇が。

ザクッ、ザクッ、グサ

僕 「ギャー、まぶたが切れたー!!」

社長(妻) 「あらら、ごめんごめん。またやっちゃった。」


僕の忍耐もこれで限界。ようやく散髪をやめてもらった。しかし、髪を切るのに、こんなに痛い思いをしたのは初めてだ。


終了後。社長(妻)が部屋を片付けながら言った。

社長(妻) 「・・・おかしいわねぇ。どうして感謝の言葉がまったく聞こえてこないのかしら。」

僕 「・・・・・・・。」


次回が本当に恐ろしいです。


プロフィール


明治大学政治経済学部卒業。帝人グループを経て、現在ブリガムヤング大学経営大学院マリオットスクールMBAプログラムに在籍。上司であるCEO(超・偉い・奥さん)と、新入社員(子供)二人の4人家族。 このブログは、まだ小さな2人の子供たちに、将来本にして贈るために書いています。


BYU MBA日本人会公式サイト↓


累計: 検索エンジン登録
本日: SEO対策
昨日: メール配信   アクセスアップ

Powered by Movable Type 4.01