社長(妻)の実家の引越しと、若き日の義父の決断
インターンシップが終わってほっとしたのも束の間、実家の引越しが始まった。我が家は、日本に帰国する度に、社長(妻)の実家にお世話になっていて、今回も4ヶ月間、住む場所を提供していただいた。
今までは練馬区光ヶ丘に住んでいたのだが、義理の父が年明けに定年退職するため、社宅扱いの今の住居を出る必要があり、このタイミングで引越しをすることになった。引越し先は成田の近くになったので、我が家や、ハワイにいる義理の妹夫妻も、移動が楽になるので本当にあり難い。
義理の父は、長い間ゼロックスに勤務しているのだが、どういったきっかけで入社したのか聞いたことがなかったので、先日引越し先を見に行った帰りに聞いてみた。
私 「そういえばお義父さん、ゼロックスにはどうやって入ったんですか?新卒ですか?」
義父 「いや。転職だよ。最初に入ったのは今で言うNTTだね。」
私 「えっ!?沖縄でNTTですか?それはすごいですね!当時の沖縄の中では、最高の会社ですよね。」
義父 「そうなんだけど、新人研修が終わった直後に辞めちゃってね。家族や親族から、ものすごい反対にあったよ。」
私 「それはそうですよね。どうしてやめちゃったんですか?」
義父 「配属先が離島だったんだ。それがどうしても嫌で。というのも、離島には教会がなかったからね。」
せっかく手にした安定や将来を、自分の信念のためにさっぱり手放すという、この回答にはびっくりした。やっぱり、一本芯が通った人というのは、本当に行動にブレがないものだ。しかも、よく話を聞くと、当時は実家がいろいろ経済的に大変だった時代で、NTTを退社するというのは、本当に勇気のいる決断だったと思う。
その後義父は、試験を受けて合格し、沖縄の教育委員会に一年勤務したのだが、公務員の生ぬるさが嫌になり、ゼロックスを受けることになったのだという。
義父 「当時はゼロックスがどんな会社かまったく知らなくてね。しかも、応募期限の締め切りを過ぎていたので、自分の履歴書を会社まで持参して届けたら面接してくれることになって。当日の待ち時間に、会議室においてあったパンフレットを見て、初めてゼロックスが複写機の会社だって知ったんだよ。笑」
その後義父は、沖縄、熊本、福岡と勤務したあと、東京で働くことになる。今は内部統制のコンサルタントとして活躍しているが、義父が東京へ転勤してこなかったら、僕も社長(妻)と出会うこともなかっただろう。そう考えると、自分の人生というのは、自分の決断だけでなく、他の人たちの決断や、偶然の上に築かれたものだとも言える。
僕の二人の子供達には、是非義父が若い頃に下した決断のことを、知ってほしいと思う。君たちが今いるのも、あの決断のお陰とも言えるのだから。
今までは練馬区光ヶ丘に住んでいたのだが、義理の父が年明けに定年退職するため、社宅扱いの今の住居を出る必要があり、このタイミングで引越しをすることになった。引越し先は成田の近くになったので、我が家や、ハワイにいる義理の妹夫妻も、移動が楽になるので本当にあり難い。
義理の父は、長い間ゼロックスに勤務しているのだが、どういったきっかけで入社したのか聞いたことがなかったので、先日引越し先を見に行った帰りに聞いてみた。
私 「そういえばお義父さん、ゼロックスにはどうやって入ったんですか?新卒ですか?」
義父 「いや。転職だよ。最初に入ったのは今で言うNTTだね。」
私 「えっ!?沖縄でNTTですか?それはすごいですね!当時の沖縄の中では、最高の会社ですよね。」
義父 「そうなんだけど、新人研修が終わった直後に辞めちゃってね。家族や親族から、ものすごい反対にあったよ。」
私 「それはそうですよね。どうしてやめちゃったんですか?」
義父 「配属先が離島だったんだ。それがどうしても嫌で。というのも、離島には教会がなかったからね。」
せっかく手にした安定や将来を、自分の信念のためにさっぱり手放すという、この回答にはびっくりした。やっぱり、一本芯が通った人というのは、本当に行動にブレがないものだ。しかも、よく話を聞くと、当時は実家がいろいろ経済的に大変だった時代で、NTTを退社するというのは、本当に勇気のいる決断だったと思う。
その後義父は、試験を受けて合格し、沖縄の教育委員会に一年勤務したのだが、公務員の生ぬるさが嫌になり、ゼロックスを受けることになったのだという。
義父 「当時はゼロックスがどんな会社かまったく知らなくてね。しかも、応募期限の締め切りを過ぎていたので、自分の履歴書を会社まで持参して届けたら面接してくれることになって。当日の待ち時間に、会議室においてあったパンフレットを見て、初めてゼロックスが複写機の会社だって知ったんだよ。笑」
その後義父は、沖縄、熊本、福岡と勤務したあと、東京で働くことになる。今は内部統制のコンサルタントとして活躍しているが、義父が東京へ転勤してこなかったら、僕も社長(妻)と出会うこともなかっただろう。そう考えると、自分の人生というのは、自分の決断だけでなく、他の人たちの決断や、偶然の上に築かれたものだとも言える。
僕の二人の子供達には、是非義父が若い頃に下した決断のことを、知ってほしいと思う。君たちが今いるのも、あの決断のお陰とも言えるのだから。
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