2008年8月アーカイブ

旅行の疲れの抜けない僕ら家族だが、フラフラしながら一日を過ごしていたが、そろそろ子供達を寝かしつけようとしていた夜の7時に、事件は起きた。

次男・奏が泣くのはいつものことなのだが、ちょっと目を離した瞬間、ドアの横の壁に激突。抱き起こしてみると、頭が血だらけになっていた。よく見ると、額が6,7センチ縦にパックリ割れている。

これにはあせった。


すぐに車で病院のERへ直行。今年の元旦にも、右目の上をパックリ切って、5針縫っているのだが、今回もまた同じオペをすることになった。

奏が暴れるので、薬で眠らせてから、ドクターが7針縫い、ようやく退院したのは11時過ぎだった。

昨日に引き続き、本当に疲れた。奏、暴れるのは布団の上だけにしておくれ。
旅行最終日。まだまだ見所を残すイエローストーンを去りがたかった我々は、再度リックスバーグからイエローストーンへ行き、ぎりぎりまで観光をすることにした。

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帰り道は、イエローストーンを南に抜けて、グランドティトンに行き、そのまま裏道を通り、ローガンで高速に乗る。地図を見ても、距離的にもあまり変わらなそうだ。

が、これが間違いの始まりだった。


2時過ぎには観光を切り上げて、帰りモードに入ったのだが、1車線しかない国立公園の道路に苦しめられ、Jacksonに到着したのは夜の7時(!)。

ここで、時間がかかっても高速に戻る道を選べばよかったものの、そのまま山道を通る道を選んだのが最大の失敗で、8時を過ぎると日が完全に落ちてしまい、完全な暗闇の中をひたすら走るハメになってしまった。

アメリカの田舎道は日本とは違って、街灯などというものはまったくない上、皆100キロ近いスピードでガンガン飛ばしていく。進んでいる道はアップダウンかつ蛇行が激しい山道で、さらに始末が悪いことに、道路があまり整備されていないため、センターラインもかすんでよく見えない。

極めつけは乱視の入った僕の目で、乱視の方は分かると思うが、乱視の目には一つの光が3つにも4つにも見えるため、本当に夜は目が見えなくなる。

こんな状態で、少しでもハンドルを切り間違えれば、間違いなく命がない。家族4人の命は僕のハンドルさばきにかかっている。ものすごいプレッシャーだ。山道を2時間ほど走ると、眠気と疲れでだんだん頭が働くなってきたので、たまらなく横に座っていた社長(妻)に聞いてみた。


僕 「社長、もう限界です。運転代われませんか?」

社長(妻) 「絶対無理。その代わり、指示出してあげるから。ハイ、右~、左~、スピード落として~、上げて~。」

さすが社長。期待を裏切らない対応だ。


パニックになったのは、ローガンまであと1時間半のところを走っていた頃。

社長(妻) 「ちょっと、ガソリン、もうないじゃない!?」

はっ気づくと、ガソリンメーターが、底を尽きかけている。本田のCR-Vに乗って先導を走っていた謙さんは、さすが元走り屋。姿かたちも見えなくなっている。山中のためか、携帯も繋がらない。

こんなところでガス欠で車が止まったら・・・。そう考えると、手の感覚がなくなった。幸い、30分ほど走ると田舎町に出て、無事にガソリン補給ができたのだが、本当にこのときはあせった。


結局ローガンに到着したのが夜の11時半。そこからさらに車を飛ばして高速に乗ったのは夜中の12時過ぎだった。I-15 に無事に乗った我々がどれだけ安心したか、言葉には言い表せない。夜のI-15を120キロでぶっ飛ばして、ようやくプロボに到着したのは夜中の2時だった。

本当に疲れた。行きはたったの4時間で目的地まで着いたのに、帰りは12時間もかかってしまった。もう二度と、アメリカの夜の山道は走りたくない。

3日目は、いよいよ今回の旅行の目玉、イエローストーン国立公園。

イエローストーン国立公園は、世界最古の国立公園であり、ワイオミング州北西部を中心として3,470平方マイル(8,980平方km)にわたる。この国立公園は様々な間欠泉や温泉、地熱によるその他の見所で有名で、グリズリーや狼、バイソンの群れが生息している。

我々一行は、9時にリックスバーグを出発。20号線を一路北へ。一時間ほどして、イエローストーンに到着した。

公園内に入り、しばらく車を走らせると、急に渋滞が・・・。車の先を見るとバイソンが2頭、悠々と道路を横切っている。すごい。ここでは、野生の動物が主役で、人間は脇役なのです。

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イエローストーンを車で走らせると、至るところで目に付いたのが、枯れた木々の下に生え広がる、若い木々。実は、イエローストーンは、98年に大規模な山火事に見舞われたのだが、当時のイエローストーン国立公園では「自然に発生する森林火災は、むしろ自然のプロセスの一環である」との考え方が提起され、ほとんど放置されたのだという。

その結果、公園の実に36%が消失し、生態系や景観に大きな影響を与えたのだという。しかし、非常に興味深いことに、ある種のマツの木は、ありえないほどの高温になって初めて実を撒き散らす特徴を持っており、まるで事前に火事が起こることを知っていたかのようだという。

自然の営みは、どこまでも美しく、そして調和が取れている。感動だ。

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この日一番の誤算は僕の服装で、8月だというのに、イエローストーンはとにかく寒かった。周りを見ても、皆ジャケットを着て、防寒している。僕はショーツにサンダルという服装で、冷たい風に当たっているとだんだん足の感覚がなくなってきた。

IMG_1166.jpg僕 「しゃ、社長、もう限界です。どこかで靴下買ってもいいですか?」

社長(妻) 「は?ダメよ。変動費が上がるじゃないの。」

と言われたものの、何とか説得して稟議を下ろし、公園内のお店で靴下を購入した。「一番地味なやつにしなさいね。」という社長の言葉に従い、選んだのがこれ。皆爆笑で、一日中馬鹿にされた。

IMG_1183.jpg今日最大の見所は、イエローストーンの名所となっているOld Faithfulと呼ばれる間欠泉。間欠泉とは、温泉が吹き出てくる不思議な泉で、公園内には数多くの間欠泉がある。その中でも最も有名なのは、Old Faithfulと呼ばれる間欠泉で、この間欠泉は約1時間ごとに、30メートル以上ものお湯柱が吹き出てくる。

Old Faithfulを見るために場所に向かったが、時間があったのでOld Faithfulの前のロッジを見学することに。するとそこで、偶然にもMBAの同級生のロブ家族に遭遇。彼らも月曜日から公園でキャンプをしているのだという。そのまま一緒にOld Faithfulをみる事になった。

IMG_1197.jpgOld Faithfulは、時間通りに噴出し始め、数百人のギャラリーは大喜び。

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見終わった後、ロブにこれからどこに行くのか尋ねると、

「これから俺たちは温泉に行くぜ。水着もあるし。一緒に行くか?」

とのこと。温泉好きの日本人魂がうずいた我々は、二つ返事で温泉に行く事に決定。が、思えばこれがアドベンチャーの始まりだった。

車を走らせる事20分、レンジャーの人から聞いた(と本人は言っていた)場所に到着。どうやら川に温泉が流れ込んでいるらしい。子供を連れて川岸に行こうとすると、ロブが僕を呼び止めた。

「おい、ケンジ、替えのパンツを持っているけど、使うか?」

何とも嬉しいオファーだ。これで肩までお湯に浸かれるじゃないか。

早速着がえて、川岸に下りてみた。チャプ・・・。ギャース!

超冷たいぞ!!!!

先に来ていた観光客に聞いてみても、温泉などどこにもないという。場所を間違えたのだ。

「ロブ、ここ温泉じゃないぞ!超寒い!入水はなしなし!」

後から来たロブに伝えたのだが、彼の返答は、

「マジ!?そりゃまいったな。でも、俺は泳ぐぜ。もう着替えちまったし。ケンジ、もちろんお前も来るよな!?」

・・・しまった。パンツを借りたことを後悔したが、時既に遅し。一緒に泳ぐことになってしまった。


少し上流へ行き、下流へ流れてみる事にしたのだが、最後に水泳をしたのは高校生のときのような気がする。足の付かない川の流れにエイヤ!と飛び込み、死ぬ気で泳いだのだが、何とか無事に家族の元に到着。

IMG_1247.jpg危なかったのは、調子に乗ってやった2回目で、川に入って泳ぎ始めたとたん、サンダルが足から半分すっぽ抜けてしまった。足をかいても、流れに足がとられ、水中に体が引きずり込まれる。

必死で手を伸ばすと、右の岸壁に手が触れたので、なんとか体を引き寄せ、岸に上がることができた。・・・もう少しで溺れるところだった。


この日はこの時点で既に5時を回っていたので、公園ツアーを終えて、帰路についた。
2日目は、朝8時にモーテルを出発し、イエローストーンの南にある グランドティトン国立公園へ行く事に。日本を出国する前に、ハーツェル夫人が、イエローストーンよりもグランドティトン国立公園の方がずっときれいだから、是非行くように、と薦めてくれいていたので、とても楽しみだった。

グランドティトン国立公園は、イエローストーン国立公園の南に位置する国立公園で、グランド・ティトンに因んで名づけられた。グランド・ティトンは、山の名前で、標高4,197メートルという、ティトン山脈の最高峰。

この公園は、西にティトン山脈を見ながら、その下にある美しい湖や川の周りで、釣りをしたり、ハイキングをしたり、アウトドアを満喫できる。


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意外に楽しめたのは、グランドティトンの南にある街、Jackson。ここは完全に、国立公園の入り口として、観光の町になっていて、町はすべてウエスタン調に整えられており、観光客向けのお店がたくさん立ち並んでいた。

町の中心の公園にあって驚いたのが、このアーチの門。実はよく見ると、すべてエルクの角で作られている。こんなアーチが町の中に、5,6個あり、いったい何頭分のエルクの角を使ったのだろうか。自然を保護するための国立公園のすぐ近くの町に、こんな動物虐殺の証が堂々と飾られていることに、驚きを隠せなかった。

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「可能な限り、国立公園に行くべし!」

アウトドアマスター、林田師匠の教えに従い、月曜日から3泊4日で、けんさん家族とイエローストーン国立公園へ貧乏旅行に行くことに。

宿泊施設はどこにするのか、いろいろ検討した結果、ちょっと国立公園からは距離があるが、街の状況や宿泊代の観点から、リックスバーグにすることに決定。

朝8時に、集合し、我々一行は一路北を目指すことに。

ysmap.JPGプロボからリックスバーグまでは、約450キロくらいの距離で、日本でいうと、東京から仙台くらいの距離。日本では、まさか仙台まで車で行こうとはあまり考えないが、ここはアメリカ。高速に乗って、時速100キロ以上でひたすら北上すること4時間、12時過ぎにはあっさりリックスに到着してしまった。


実はリックスバーグは、うちの社長(妻)のおもひでの地で、今から10年前、ユタ州立大学から、当時のリックスカレッジにトランスファーした彼女は、この町で1年間を過ごし、卒業している。

当時のリックスカレッジは、現在ではBYU アイダホ校と名前を変えていて、2年生の短大から、4年生の総合大学になっている。そんな訳で、我々はモーテルへ行く前に、BYUアイダホ校を見学しに行く事にした。

IMG_0903.jpgBYUアイダホを歩いていて、ふと僕にMBAの推薦状を書いてくださった、ヘンリー・アイリング氏がBYUアイダホにいた事を思い出し、アポなしで訪問してみることにした。ヘンリー・アイリング氏は、First Presisdencyのアイリング管長の息子で、BYUでロースクールとMBAを卒業し、その後コンサルティング会社のモニターカンパニーで働いていた大変優秀な方だ。スタイス教授の前任のBYU MBAのディレクターでもある。

受付でどこにいるのか聞くと、スペンサービルディングのExsecutive Officeにいるという。図々しくも家族をぞろぞろ連れて訪問すると、丁度受付の秘書と話すために出てきたアイリング氏と会う事ができた。

アイリング氏は大変丁寧に対応してくださり、推薦状のお礼を伝え、近況を報告することができた。明日、息子さんが名古屋Missonに行くためにMTCに入るのだという。素晴らしい話だ。

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BYUアイダホを後にした我々は、モーテルへ行くことに。モーテルに行ってみると、偶然にも社長(妻)がかつて住んでいたアパートから、道路をはさんですぐのところだった。

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この日は、アパートの向かいの公園で時間を過ごし、無事終了。この公園はスプレーパークという公園で、日本から来た我々にとっては、驚くべき施設が無料で開放されていて、子供達にとっては本当に楽しそうな公園だった。

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IMG_0928.jpg夜に美しいRexburg Templeを見に行った。

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プロボリバーで川下りを堪能

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アウトドアの聖地、プロボキャニオンを楽しむツアー第二弾は、プロボリバーで川下り。これも、我らがアウトドア師匠、林田Bの遺言の一つだ。

朝10時に、BYUへけんさんと行き、ゴムボートとライフジャケットをレンタルし、昼過ぎにキャニオンに向かった。奥様達をVivian Parkに下ろし、子供二人と一緒に、Deer Creekと呼ばれる貯水池の真下まで行った。このDeer CreekからVivian Parkまでのコースは、およそ7,8キロくらいで、一時間ほどかけて、ゆっくりとプロボキャニオンの絶景を眺めつつ、川を下ることになる。


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早速、4人でゴムボートに乗り込んだ。のだが、その気持ちのよさといったら、本当に、筆舌に尽くしがたい。ゆっくりと流れる川に身を任せながら、穏やかな風を全身で受け止め、ただ広がる絶景にため息をつく。

感動だ。


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しかし、僕のひざの上に座っていた瞬は、最初こそ喜んでいたものの、ちょっと流れの速いところで水をかぶると、

「パパー、さーむーいー、さーむーいー。こーわーい。こーわーい。」

を連発し、寒気と恐怖で固まってしまった。

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周りを見渡すと、浮き輪やゴムボートで川くだりを楽しんでいる人がたくさんいたのだが、ウケたのが、途中で遭遇したオバサン二人組みで、どう見ても単なるゴムベットだろうと思われるものに腰掛け、ライフジャケットもなしに、パドル一つで、優雅に(?)川を下っていた。

このおば様たちは、最後の最後で、我々と一緒にVivian Parkに上陸しようとした際、二人とも、ツルリンとゴムベットから滑り落ち、

「あーれーー」

と二人とも流されてそのまま我々の視界から消えてしまった。無事にどこかで上陸できたことを祈りたい。

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わが社の社長(妻)も川下りに挑戦。僕は社長の道中をお守りする、という大役を仰せつかり、船首を担当することに。

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僕 「あ、あぶない、突き出た木の茂みにぶつかる!」

ズササササ

社長(妻) 「キャー、痛い!」

僕 「社長、大丈夫ですか!?」

社長(妻) 「ちょっと、もっとしっかり漕ぎなさいよ!!!(怒)」

ガスッ!!(パドルで背中を一突き)

僕 「ヒィー!」


(・・・上のやりとりはノン・フィクションです。)


いろいろありましたが、家族共々プロボの大自然を満喫した一日でした。情報提供してくださった林田師匠、一緒にいってくれたけんさん家族の皆さん、本当にありがとうございました。




家族で滝を見に入った話

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プロボでの生活がまたスタート。こちらの気候は、夏ながら、蒸し暑い日本とは大違いで、乾燥していてとにかく気持ちがいい。

ここ数日は、生活をスタートするための、食品や日用品の買出し、車などの各種手続きなどを行っていたのだが、ようやくそれらも落ち着いてきて、遊びに行く余裕が出てきた。

出国前につい数ヶ月前に卒業した林田Bから、

「いやぁー、やっぱりプロボにいたらアウトドアですよ!ここは全米でも有数のアウトドアの聖地ですよ!絶対に遊びつくしてください。」

と念を押されていたのもあり、今日は午後に、プロボキャニオンにある、Bridal Veil Fallsという滝を見に行くことにした。Bridal Veil Fallsという名前の滝は、世界中にあり、ヨセミテのものが有名らしいのだが、ここプロボにもまったく同じ名前の滝がある。

家から車で走ること15分(近っ!)、壮大な景色が広がるプロボキャニオンの渓谷に、目的の滝は見えてきた。

IMG_0650.jpgこの滝は、はるか昔、この近辺に住んでいたインディアンの恋人たちにちなんでつけられたらしく、二人はそれぞれ、敵対している部族に属していたが、夜になると人の目をしのんで、この滝で会っていたのだという。


しかし、プロボにいると、東京でのあの喧騒とした生活がまるで幻だったかのように感じる。いや、今のここの生活こそが幻なのかもしれない。泣いても笑っても、アメリカで暮らす最後の8ヶ月。決して悔いの残らないように、大切に、そして楽しんで過ごそうと思う。


8月16日土曜日午後4時に、無事ソルトレークに到着した。

成田までは、毎度のごとく、義理の両親が車を出してくれて、本当に助かった。この場を借りて、感謝をお伝えしたいです。

社長(妻)はアメリカへ戻る日が近づくにつれ、ため息の数が多くなっていて、今日も

「ハァ~、アメリカ、帰りたくないな。」

とのこと。まあ、あの閉ざされた冬の世界で、小さな社員(子供)の新人教育に明け暮れる日々は、確かにつらいものがある。


成田発の飛行機は、夕方6時発で、子供達は離陸と共に爆睡してくれて、最大の試練であったサンフランシスコ行きの旅路の半分は寝てくれたので楽だった。

ソルトレーク空港に到着
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ソルトレークに到着したのは夕方4時。けんさんが迎えに来てくれた。けんさん家族も、つい3日前にプロボに帰ってきたばかりで、プロボに向かう車の中では、それぞれのインターンシップの報告や、残り2週間の夏休みの使い方などの話題で盛り上がった。


プロボのアパートは、そのままキープして日本に帰っていたので、残してきた家や車が心配だったが、家はまったく問題なく、出国したままの状態だった。

問題は車。けんさんが、車のチェックに付き合ってくれた。我が家の車は、今年卒業したたすく君から譲ってもらったもので、購入後は、家族寮の駐車場に4ヶ月間放置していた。

ところが、ガチャッと運転席のドアを開けると・・・

ブーン

という音と主に、数十匹のハチの群れが車から飛び出してくるではありませんか!?

「ギャー!ハチ、ハチ!」

「ああ!そこ見て!」

見ると、ドアとドアの隙間に、昆虫大百科くらいでしかお目にかからない、ハチ様のカプセルホテル、ハチの巣が見事に作られているではありませんか。

これにはびっくり。けんさんが、その場でハチの巣をえぐり落とし、巣ごとつぶしてくれたが、帰る場所を失ったハチの群れはそのまま車のドアの横にびっしりと居座り、困ってしまった。

結局、夕方に殺虫剤を購入してきて振り掛けたところ、ボトボトとハチが落ちてきて、無事プロジェクトエックスは終了。とんだ珍事件でした。

インターンシップが終わってほっとしたのも束の間、実家の引越しが始まった。我が家は、日本に帰国する度に、社長(妻)の実家にお世話になっていて、今回も4ヶ月間、住む場所を提供していただいた。

今までは練馬区光ヶ丘に住んでいたのだが、義理の父が年明けに定年退職するため、社宅扱いの今の住居を出る必要があり、このタイミングで引越しをすることになった。引越し先は成田の近くになったので、我が家や、ハワイにいる義理の妹夫妻も、移動が楽になるので本当にあり難い。


義理の父は、長い間ゼロックスに勤務しているのだが、どういったきっかけで入社したのか聞いたことがなかったので、先日引越し先を見に行った帰りに聞いてみた。

私 「そういえばお義父さん、ゼロックスにはどうやって入ったんですか?新卒ですか?」

義父 「いや。転職だよ。最初に入ったのは今で言うNTTだね。」

私 「えっ!?沖縄でNTTですか?それはすごいですね!当時の沖縄の中では、最高の会社ですよね。」

義父 「そうなんだけど、新人研修が終わった直後に辞めちゃってね。家族や親族から、ものすごい反対にあったよ。」

私 「それはそうですよね。どうしてやめちゃったんですか?」

義父 「配属先が離島だったんだ。それがどうしても嫌で。というのも、離島には教会がなかったからね。」


せっかく手にした安定や将来を、自分の信念のためにさっぱり手放すという、この回答にはびっくりした。やっぱり、一本芯が通った人というのは、本当に行動にブレがないものだ。しかも、よく話を聞くと、当時は実家がいろいろ経済的に大変だった時代で、NTTを退社するというのは、本当に勇気のいる決断だったと思う。

その後義父は、試験を受けて合格し、沖縄の教育委員会に一年勤務したのだが、公務員の生ぬるさが嫌になり、ゼロックスを受けることになったのだという。

義父 「当時はゼロックスがどんな会社かまったく知らなくてね。しかも、応募期限の締め切りを過ぎていたので、自分の履歴書を会社まで持参して届けたら面接してくれることになって。当日の待ち時間に、会議室においてあったパンフレットを見て、初めてゼロックスが複写機の会社だって知ったんだよ。笑」

その後義父は、沖縄、熊本、福岡と勤務したあと、東京で働くことになる。今は内部統制のコンサルタントとして活躍しているが、義父が東京へ転勤してこなかったら、僕も社長(妻)と出会うこともなかっただろう。そう考えると、自分の人生というのは、自分の決断だけでなく、他の人たちの決断や、偶然の上に築かれたものだとも言える。

僕の二人の子供達には、是非義父が若い頃に下した決断のことを、知ってほしいと思う。君たちが今いるのも、あの決断のお陰とも言えるのだから。


ハーツェル夫妻への感謝

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ハーツェル夫妻と日曜日に最後のお別れをした。夫妻は数ヶ月前に日本に赴任してきたCouple Missionaryで、この異国の地で、ボランティア活動を日々行っている。

ハーツェル夫妻には、この夏休みの期間、本当にお世話になった。夫妻には、隔週で1時間ほど、無料で英会話を教えてもらっていた。日本に帰国するとどうしても、英語を話す機会が激減してしまい、ただでさえへたくそな僕の英語が、さらに下降するのを避けるために、5月の上旬に「英語を教えてくれないか」、と図々しくもお願いしてみたところ、快く引き受けてくださった。

最後のレッスンのときに、ハーツェル夫人がいくつかちょっとびっくりするような話をしてくれたのだが、よく聞くと、夫人はBYUのしかもビジネスマネジメント専攻の卒業生だという。もうお年は60を超えているから、僕の大先輩だ。

GaryCornia_closeup_article.jpg「私もちゃんとBYU Management Societyの一員なのよ。ニュースレターは今でも読んでるわ。」

とのこと。さらに、驚くべき事実が。

「そういえば、言い忘れたけど、私達の娘が、今のマリオットスクールの学長の息子と結婚しているのよ。」

「ええっ!」

「あなたのこと、メールで伝えておいたから、学校に行ったら訪問してね。」

N会長と親交の深かった前学長のDean ヒルは4月に退任し、新しくコニア学長が春からその任を果たしているのだが、まさかこんなところで繋がるとは。そしてBYUでの思い出をいろいろと話してくれた。

「BYUでの日々は本当に素晴らしかったわ。私は、ほんの数回の例外を除いて、すべてのDevotional に参加したけど、人生を生きているうえで、本当に多くの素晴らしい教えをあの場で受けたと思っているの。ケンジも与えられた機会をよく生かして、たくさん参加したら素晴らしいと思うわよ。」

はい、来せメからはもっと真面目に出席させて頂きます。。

ハーツェル夫妻、本当にありがとうございました。また来年お会いできる機会を楽しみにしています。

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インターンシップが無事終了

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3か月に及ぶ「密林」でのインターンシップが金曜日に無事に終わった。結論から言うと、実り多い、よいインターンシップだったと思う。

プロジェクトの詳細はNDAがあるのでもちろん口外できないものの、ビジネススクールのクラスで学んだことをたくさんアウトプットする機会があり、またよいマネージャーやメンターに恵まれるなど、充実した時間を過ごすことができた。直属のマネージャーになってくださったTさんは、毎週多くの時間を私のために割いて下さり、本当に感謝している。

また、これは現実問題として、私費留学をしている僕ら家族として、多少貯金ができたことも、有難いことだった(出国前にアメリカの口座残高が2万円を切ったときには流石に焦った)。



インターンシップで使ったMBAのコンセプト

インターンシップでは、ファイナンス、管理会計、ストラテジー、マーケティング、Pricing & Positioning などのクラスで学んだことをそのまま使う機会が与えられた。以前の仕事がマーケティングだったこともあり、ファイナンスや管理会計はMBAで初めて体系的に学んだ科目だったが、NPVやIRR、Contribution Margin、FCFなどの概念が、現実のビジネスでもバリバリ使われていることを体験できたのは、新鮮だった。

また、あれほど苦しんだウィットラック教授のPricing & PositioningのSegmentationのスキルもかなり助けられた。あるグループをセグメントにバラバラに分解した上で、ビジネス上で重要な指標を使って評価をし直し、再度グルーピングをしていく思考回路などは、本当に今回のインターンでも役立ったと思う。

しかし、これらの経験から痛感したのは、やっぱりビジネスは実践してナンボということ。クラスで学んだことは、いくらやってもやはり机上の空論で、実際のビジネスで使って初めて腹に落ちる。今回はインターンシップだったこともあり、実践の一歩手前のような形だったが、それでもかなりそれぞれのコンセプトに対する理解が深まった。



キャリアを築くうえで大切なこと

僕のメンターになってくださったのは、直属のマネージャーの上司で、某有名大学でMBAを取得されているWさんという方だった。Wさんは、大変多忙にも関わらず、何度か僕を食事に連れていてって下さり、今後の仕事選びをする上で、いろいろなアドバイスをくれた。下記がそのサマリー。


35歳までが重要な勝負どころ

35歳はキャリアの重要なターニングポイント。35歳までは、ポテンシャルを見られるが、35歳を超えると、周囲は過去の実績を見るようになる。そのため、35歳までに、自分が勝負できる領域を定めて、その中で高い実績を出しておくことが非常に重要になる。


Sustainable Growth(持続可能な成長)

キャリア構築で重要なのは、Sustainable Growth。MBAに行くと、当然考えるのが投資銀行とコンサル。確かに投資銀行の給料はべらぼうに高いし、コンサルもいろいろな経験ができる。しかし、投資銀行は40歳を過ぎると、リストラの対象になり、コンサルも40歳を過ぎると、事業会社に行くのが非常に難しくなるなどのリスクがある。

そういった意味で、目の前の給料などに惑わされることなく、自分が長期的にキャリアを築ける領域がどこにあるのか、よく見極める必要がある。


業界選びも重要

業界選びは非常に大切。世界を俯瞰すればすぐに分かることだが、今後製造業はますます日本の国外に流出していくはず。また、テクノロジー企業も、数年お気にくる技術革新の波が大きなリスクになる。そういった意味で、小売やサービス業は安定している業界とも言える。


職種について

自分の専門性をしっかりと持ちながら、仕事の幅をひろげてゆくことが大切。もし社長を目指すというのなら、PLを管理する仕事を経験しておく必要がある。どの企業も、売上を上げ、利益を出せる人材を探している。

book2.jpg先日、仕事帰りに本屋に立ち寄った。本当なら別の本を探しに言ったのだが、本棚にあった『外資系トップの仕事力』が、俺を買え!とメッセージを語りかけていた(ように感じた)ので、迷わず購入。非常に面白かった。

この本は、GE、マッキンゼー、コカ・コーラ、オラクル、ルイ・ヴィトンなど、世界から認められた経営トップが、いかに自分を磨きキャリアを築いていったのか、12人が、自身の仕事観とキャリア観を語っている。

12人のうち半数くらいはMBAの卒業生で、そういった意味でもとても面白かったのだが、12人が語る内容に共通点が多かったことも考えさせられた。例えば、キャリアの半分は、偶然や人との出会いがきっかけだったことや、目の前にことに全力を尽くすことの重要性を説いているととなど、多くの人が同じメッセージを伝えていた。下記がそれらのメッセージの抜粋。



キャリアというと、普通は出世とか、資産形成とかをイメージするのかもしれない。いろいろ軸はあると思うんですが、やぱり僕は何に貢献するのか、ということを考えて欲しいと思う。その一番は、やっぱり社会に対して、だと思うんですよ。となれば、社会に貢献していく過程で、どんなことを自分は心地よく感じるのか。どんなことをして、その時間を過ごしたいのか。それが僕はポイントだと思う。貢献こそ生きがいに繋がるんです。だからこそ、仕事キャリアは、心地よいキャリアになるわけでしょう。逆に言えば、心地いいことは何かを自分が見つけないと、キャリアは生まれないとも言える。

新宅正明
日本オラクル(株)代表取締役社長


ただ私は、ポジションとか報酬とか、そういうものを目的に仕事をする、あるいは成果を出すというのは、おそらくは正しくないと思っています。そういう発想をすると、スケールが小さくなってしまう。オムロン時代、ある上司から言われた言葉がずっと印象に残っています。神様か仏様かわからないが、公衆の正義みたいなものがあって、それに基づいて瞬間瞬間一生懸命やっていれば、必ず誰かが見ていてくれる。助けが必要なときには、必ず助けてくれる。だから、それを信じて一生懸命やればいいんだと。瞬間瞬間の最善の努力で道は開けていくんだ、と。

ほんの一部の天才を除けば、人間の能力の差なんて、高が知れています。要は全力を出し切れるかどうかなんです。

山中信義
日本エマソン(株)代表取締役社長


もう一つは、与えられた運命の中でベストを尽くすということです。逆説的ですが、ある意味、選ばない。私にしても、転機はすべて人との出会いなんです。・・でも、人との出会いは計算してできるものではないんです。だから、常に努力しておく。人脈も作る。そして努力したら、あとは運命だと考える。一生懸命やっていれば、必ず何かが起こります。

藤井清孝
ルイ・ヴィトン ジャパン CEO

貧乏学生である我が家の、この夏最大の買い物。それは、 Canon デジタル一眼レフカメラ EOS Kiss X2 レンズキット

ビックカメラの店舗へ行って情報収集して、ネットで探してみると、何と同じモデルが2万円も安く売っていた。なかなかの高い買い物だったが、もう一年あるプロボでの生活を、いいカメラでいろいろ撮って生涯残しておけるメリットを考えて決断。時間だけは元に戻らないので。

もともと一眼レフなるものに興味をもったのは、ケニーのCEO(超・偉い・奥さん)である、あのお方の影響。いやしかし、あのお方のブログを見れば、誰でも一眼レフ欲しくなりますね。今回我々が購入したものは、同じシリーズなので、プロボに戻ったら、いろいろと教えを乞いたいものです。

しかし、ちょっと使ってみて思うのは、とにかくシャッタースピードが速いのなんのって。前に使っていたオリンパスのデジカメは、ボタンを押してからシャッターが切れるまで数秒のタイムラグがあって、いつもシャッターチャンスを逃していたけれど、今回からはその心配はいらなそうだ。


僕 「社長、もちろん私にも使わせて貰えるんですよね?」

社長(妻) 「ダメよ。あんたは手ブレ王なんだから。」

僕 「手ブレだったら、なおさら私この一眼レフを使った方がいいような気が・・・。しかも社長、これは私が働いて稼いだお金で買ったんですよね?」

社長(妻) 「は?あんたはわが社(家)の社員なんだから、稼いでくるのが当たり前でしょ!?」

僕 「・・・・・・。」


残念ながらこのカメラは僕のものではなく、我が家の社長(妻)の所有物になるそうです。代わりに、僕には、ウォルマートで買ったオリンパスのお古が支給されるとのこと。という訳で、今後このブログに掲載される写真たちには、あまり貢献はなさそうです。なんとも。。。

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プロフィール


明治大学政治経済学部卒業。帝人グループを経て、現在ブリガムヤング大学経営大学院マリオットスクールMBAプログラムに在籍。上司であるCEO(超・偉い・奥さん)と、新入社員(子供)二人の4人家族。 このブログは、まだ小さな2人の子供たちに、将来本にして贈るために書いています。


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