沖縄へ里帰り
実は、わが社(家)の社長(妻)は沖縄出身。今でも、ひいお婆ちゃんを初めとするたくさんの親戚が沖縄に住んでいる。結婚している社長(妻)の兄弟で結婚後に帰省していないのは我が家くらいだったので、インターンシップが始まる前に、沖縄に行くことにした。
僕が初めて沖縄の地に足を踏み入れたのは、今から丁度10年前の9月。大学を休学して、Japan Fukuoka Missionで働いていたときに、熊本から沖縄の首里へ転勤が決まった。九州の盆地にある熊本は、東京出身の僕にとってはあまりに暑い場所で、ようやく涼しくなりかけていた9月に、常夏の島・沖縄へ行くことになった。
当時はまだ空港が新しくなる前で、空港に降りたつやいなや、あまりの熱気で景色がゆらいで見えたのをよく覚えている。それから9ヶ月間、首里と与那原の2箇所で暮らすことになったのだが、多くの出会いや経験に恵まれた、本当にすばらしい日々だった。
あれから10年たって、沖縄出身の奥さんと子供を二人連れて、また沖縄の地を踏んでいることを考えると、何とも不思議な気分になる。
沖縄に滞在中は、社長(妻)のお婆ちゃんの家に滞在させて頂いていたのだが、ここがなんと那覇の国際通りから歩いて5分という驚くべき好立地。モノレールの駅も近く、あまりに便利でびっくりしてしまった。
妻のお婆ちゃんは、80歳を超える高齢なのだが、見た目は大変若く、驚くほど元気。学校の教員をしていた、というお婆ちゃんは大変教養のある方で、戦前の、沖縄師範学校及び、沖縄県立第一高等女学校の卒業生でもある。
‥そう、お婆ちゃんは、ひめゆり学徒隊の生き残りなのだ。
僕が初めて沖縄の地に足を踏み入れたのは、今から丁度10年前の9月。大学を休学して、Japan Fukuoka Missionで働いていたときに、熊本から沖縄の首里へ転勤が決まった。九州の盆地にある熊本は、東京出身の僕にとってはあまりに暑い場所で、ようやく涼しくなりかけていた9月に、常夏の島・沖縄へ行くことになった。
当時はまだ空港が新しくなる前で、空港に降りたつやいなや、あまりの熱気で景色がゆらいで見えたのをよく覚えている。それから9ヶ月間、首里と与那原の2箇所で暮らすことになったのだが、多くの出会いや経験に恵まれた、本当にすばらしい日々だった。
あれから10年たって、沖縄出身の奥さんと子供を二人連れて、また沖縄の地を踏んでいることを考えると、何とも不思議な気分になる。
沖縄に滞在中は、社長(妻)のお婆ちゃんの家に滞在させて頂いていたのだが、ここがなんと那覇の国際通りから歩いて5分という驚くべき好立地。モノレールの駅も近く、あまりに便利でびっくりしてしまった。
妻のお婆ちゃんは、80歳を超える高齢なのだが、見た目は大変若く、驚くほど元気。学校の教員をしていた、というお婆ちゃんは大変教養のある方で、戦前の、沖縄師範学校及び、沖縄県立第一高等女学校の卒業生でもある。
‥そう、お婆ちゃんは、ひめゆり学徒隊の生き残りなのだ。
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