ラスベガスの中心で「バビロン」と叫ぶ

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26日~28日、行ってきました。ラスベガス。

プロボからラスベガスまでは直線距離で500キロくらい。過去4回故障で止まったという実績を持つ、我が社のぼろ車ではどう考えても無理だろう、ということから、レンタカーで行くことにしました。

朝9時過ぎにプロボを出発、時速130~150キロでひたすら砂漠の道を突っ走り、2時過ぎに突如


到着してみてびっくり。西洋の城、自由の女神、スフィンクス、ベニスの町並み、エッフェル塔、サーカスなど、豪華絢爛に立ち並ぶホテルの数々。24時間眠らないカジノ、煌びやかなショーの数々、世界中の食事を堪能できるレストラン。普通の大人にとっては夢の国かもしれないが、クリスチャンの僕達夫婦にとっては、まさに「バビロン」そのもの。圧倒されてしまった。
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しかし、大学で都市政策をかじった僕にとっては、ラスベガスは非常に考えさせられる都市だった。

ラスベガスは1820年代後半、ソルトレイクシティからカリフォルニアを目指すモルモン教徒によって発見された。ネバダ砂漠の中にあってこの付近は窪んだ地形となっており、オアシスとなっていたようです。その後、1840年代末にカリフォルニアで金が発見され、ゴールドラッシュが起ると、砂漠の中の貴重な中継地点として、定住する者が現れた。

1929年には、かの株式大暴落に端を発した大恐慌が起り、さしたる産業のないネバダ州では、税収確保の為1931年賭博を合法化。1946年、ベンジャミン・シーゲルがフラミンゴホテルを建設し、カジノが収益を上げることが判ると、マフィアが続々とホテルを建設するようになった。そして1980年代の末頃から、巨大テーマホテルブームが起り、現在に至っている。


カジノを合法化する、という決断をした時点で、多くの退廃的な要素も同時に都市に流れ込んでくることは分かっていたと思われるが、この何もない砂漠の真ん中に何らかの産業を作り出すために、ネバダ州という州は、あえてその苦い毒を飲むことを決めたと言える。何とも考えさせられる。


話を我が家の旅に戻すと、最も感動したのは、何といっても寿司の食べ放題。TODAI という店に行ったのだが、うまいのなんの。2時間も店にいて、ひたすら日本食を食べ続けました。‥また行きたい。。



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    明治大学政治経済学部卒業。帝人グループを経て、現在ブリガムヤング大学経営大学院マリオットスクールMBAプログラムに在籍。上司であるCEO(超・偉い・奥さん)と、新入社員(子供)二人の4人家族。 このブログは、まだ小さな2人の子供たちに、将来本にして贈るために書いています。


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