海外出産を経験する
第二子の奏(かなで)が生まれたのは、2007年1月1日のことだった。夫は無職の受験生。1歳の子供を抱え、言葉もろくに分からない異国の地で、新しい子供を出産する妻のことを思うと、たまらない気分だった。朝方に陣痛が来て、すぐに病院に向かった。
我が家にとって奇跡だったのは、素晴らしい人たちに助けられたこと。
主治医は、40年前に日本で宣教活動を行っていて日本語が話せるドクター・ワージー、看護しは妻の教会の友人のオータムさん。そして、つい2週間前に友達になった、日本人で看護師をされていたゆみこさんが同伴してくれた。
昼過ぎには、待望の第二子が生まれた。
神様の導きに従って、美しい人生を奏でて欲しい、という意味をこめて「奏(かなで)」と命名した。また、僕の恩師、President James A. McArthurの名前を取って、ジェームスというミドルネームをつけた。


我が家にとって奇跡だったのは、素晴らしい人たちに助けられたこと。
主治医は、40年前に日本で宣教活動を行っていて日本語が話せるドクター・ワージー、看護しは妻の教会の友人のオータムさん。そして、つい2週間前に友達になった、日本人で看護師をされていたゆみこさんが同伴してくれた。
昼過ぎには、待望の第二子が生まれた。
神様の導きに従って、美しい人生を奏でて欲しい、という意味をこめて「奏(かなで)」と命名した。また、僕の恩師、President James A. McArthurの名前を取って、ジェームスというミドルネームをつけた。
ドクターワージー
次男・奏(かなで)
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