MBAプログラムに提出する推薦状
一般的に、海外の MBA は推薦状を要求する。 ブリガムヤング大学 の MBA に出願するために必要な推薦状は 3 通だった。通常は仕事の上司と、大学時のゼミの先生にお願いをすることになる。
実は、私にとってこの推薦状は小さからぬ心配の種だった。というのも、大学生のときに、残念ながら僕は通常のゼミに入室しておらず、いわゆる「教授」と名のつく人と個人的な関係がなかった。
一通はもちろん、 N会長が書いてくださることになっていたが、あと 2 通をなんとか手配しなければならない。
2006 年の 5 月~ 8 月まで、僕は N会長の会社で働かせて貰っていた。入学までの期間、経営者として働いているN会長の下で、いろいろな教えを受けてみたかったのだ。後で振り返ってみても、本当にこの決断をしてよかった。というのは、思わぬところで大学の先輩に会えたからだ。
僕が仕事を辞めて N会長のところで働き始めたと同じ時期に、 N会長の 2 人の義理の息子が ブリガムヤング大学の MBA のインターンで戻ってきていた。そのうちの片方は 広谷君という一つ歳が上の人で、席が隣になった。よく話を聞くと明治大学の先輩であることが分かった。しかも学部まで一緒で、すぐに僕のよき相談相手になってくれた。
推薦状が 3 通必要だ、という話や、推薦状はオンラインで入力する仕組みになっていることも、この広谷君に教えてもらった。
7 月になったとき、広谷君が MBA プログラムの元ディレクターで、日本で働いている人のところへ挨拶に行くから一緒にどうか、と言ってくれた。
その方はヘンリーアイリングという名前の人で、ブリガムヤング大学の MBA とロースクールを出たあと、モニターカンパニーで勤務し、ブリガムヤング大学の MBA プログラムのディレクターを歴任されていた。ちなみに、おじいさんは著名な科学者で、お父さんはスタンフォード大学の元教授という秀才家族の家系だった。日本にいたのは、 3 年間、教会の Mission President としてボランティアで 3 年間奉仕する責任を負い、東京都中野で働いていた。
7 月の暑いある日、僕は広谷君に連れられて彼の中野のオフィスへ訪問した。実は 3 年ほど前、彼が日本に来たばかりの頃、セミナーで一度彼に会ったことがあったが、ずっと前のことだったし、もう忘れてしまっているだろうと思っていた。
ところが驚いたことに、 President アイリングは、
「ひさしぶりですね。」
と声をかけてくれた。
「すごく賢い人だよ。特に記憶力がすごい。」
広谷君からそう聞かされていたが、本当にその通りだった。
しばらく話した後、僕が MBA を受験する予定だ、というと、
「何か私にできることがありますか。もし必要でしたら、推薦状を書いてあげましょうか。」
と申し出てくださった。
元 MBA のディレクターをされていた方が推薦状を書いてくださるなんて、そんな夢のような話はない。是非お願いすることにした。
3 通目は母校の大学の教授を N 会長から紹介頂き、その関係で入手することができた。こうして 3 通の推薦状を揃えることができた。
実は、私にとってこの推薦状は小さからぬ心配の種だった。というのも、大学生のときに、残念ながら僕は通常のゼミに入室しておらず、いわゆる「教授」と名のつく人と個人的な関係がなかった。
一通はもちろん、 N会長が書いてくださることになっていたが、あと 2 通をなんとか手配しなければならない。
2006 年の 5 月~ 8 月まで、僕は N会長の会社で働かせて貰っていた。入学までの期間、経営者として働いているN会長の下で、いろいろな教えを受けてみたかったのだ。後で振り返ってみても、本当にこの決断をしてよかった。というのは、思わぬところで大学の先輩に会えたからだ。
僕が仕事を辞めて N会長のところで働き始めたと同じ時期に、 N会長の 2 人の義理の息子が ブリガムヤング大学の MBA のインターンで戻ってきていた。そのうちの片方は 広谷君という一つ歳が上の人で、席が隣になった。よく話を聞くと明治大学の先輩であることが分かった。しかも学部まで一緒で、すぐに僕のよき相談相手になってくれた。
推薦状が 3 通必要だ、という話や、推薦状はオンラインで入力する仕組みになっていることも、この広谷君に教えてもらった。
7 月になったとき、広谷君が MBA プログラムの元ディレクターで、日本で働いている人のところへ挨拶に行くから一緒にどうか、と言ってくれた。
その方はヘンリーアイリングという名前の人で、ブリガムヤング大学の MBA とロースクールを出たあと、モニターカンパニーで勤務し、ブリガムヤング大学の MBA プログラムのディレクターを歴任されていた。ちなみに、おじいさんは著名な科学者で、お父さんはスタンフォード大学の元教授という秀才家族の家系だった。日本にいたのは、 3 年間、教会の Mission President としてボランティアで 3 年間奉仕する責任を負い、東京都中野で働いていた。7 月の暑いある日、僕は広谷君に連れられて彼の中野のオフィスへ訪問した。実は 3 年ほど前、彼が日本に来たばかりの頃、セミナーで一度彼に会ったことがあったが、ずっと前のことだったし、もう忘れてしまっているだろうと思っていた。
ところが驚いたことに、 President アイリングは、
「ひさしぶりですね。」
と声をかけてくれた。
「すごく賢い人だよ。特に記憶力がすごい。」
広谷君からそう聞かされていたが、本当にその通りだった。
しばらく話した後、僕が MBA を受験する予定だ、というと、
「何か私にできることがありますか。もし必要でしたら、推薦状を書いてあげましょうか。」
と申し出てくださった。
元 MBA のディレクターをされていた方が推薦状を書いてくださるなんて、そんな夢のような話はない。是非お願いすることにした。
3 通目は母校の大学の教授を N 会長から紹介頂き、その関係で入手することができた。こうして 3 通の推薦状を揃えることができた。
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